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Archive for 9月, 2009

ブログ-1

2009年9 月17 日(木)
地鎮祭

晴天とさわやかな微風の中、「スヌーピーと住む家」の地鎮祭が午前中に終わり、その後ランチを施工者共々ご馳走になりました。いよいよ着工です。施工者のNさんとは始めてのお付き合いです。お施主さんの指名で中々の好人物、いつもニコニコしている若者で無愛想を自認している私にはとても真似できません。
ところでNさんにただ一つだけお願いがあります。以前にも言ったと思うが、先生と呼ぶのだけはやめて頂戴。私はあなたを教えた覚えは無いんだからね。それに先生はたくさんいるけど自分という人間はこの世に一人だけですからね。お互い名前で呼び合いましょうよ。ネ!そうしましょ!
笑顔と先生といえば昨夜の民主党の先生方から笑顔が消えていました。これから始まるであろう官僚たちとのバトル、マニフェストの実行。鳩山新総理の”身の震える思いがする”という表現に覚悟の程がうかがえます。そんな様子を思い出しながら、笑顔にも先生にも色々あるんだなあなんて、改めて思った次第です。
2009年9 月12日(土)
住宅作家になるためのノート 泉幸甫・安井正・葭原健一・須永豪
タイトルからして若い建築家を対象としていて事実そうであるのは間違いないのだが、取り上げてある事例の大半が過去話題になった住宅だったので改めて手にしてみた。
単なる「住宅作家になるためのノート」というよりは建築家の生き方としての教書である。
主著者(建築家4人の共著)は私とほぼ同世代であり、大学で職を食みながら実務をこなしている(プロフェッサーアーキテクト)ようであるが同意するところが多い。
若い建築家に限らず、自分でも時々読み返したい本である。また、建築に興味を抱いている人、家作りを考えている人など一般の人々に特にお奨めしたい。
主著者まえがきより(一部)
この本の最も若い著者が、原稿を読み直した段階で「ああ、五年前の自分に読ませてやりたかった!」といった言葉が忘れられません。この言葉は、独立してこの五年がどれほど大変であったか、またそれをどうにか超えることのできた喜びとも思えます。
テーマを持ち、それなりの生き方を持っている建築家は、苦労を抱えながらも、住宅作家というハードルをどうにか越えていくものなのでしょう。
2009年9 月8 日(火)
現場時代
最も長くいた現場が、東京は荒川を越えた五反野という街の都営住宅団地であった。2年余りの飯場暮らしで、成人もそこで迎えた。もっとも町で女性の晴れ着姿を見かけ、他人に聞いて後で知ったのであるが。高度成長期真っ盛り、高化学スモッグ予報や建築現場の鋼管杭に幼児が嵌まったニュースが流れたりしていた時代。三島由紀夫事件や浅間山荘事件の頃である。
夜も昼も無くとはあのような時を言うのであろう、常駐監理していた東京都住宅局のMさんが、他社の施工図のバイトを回してくれたのが嬉しくて、睡眠を削って仕上げた。丹下健三の傑作、国立代々木競技場の鉄筋を組んだと言う、元関取で緻密な頭脳の持ち主の鉄筋工Mさんが、これを参考にしろと大手ゼネコンの、透視図法を駆使した施工図を用意してくれたりしたのが思い出される。ほかにも山形の宮大工や、職人気質を見せ付けられ、意気に感じてその仕事に徹夜で付き合った左官など、職人から多くの事を教わった。私にとって建築の原点ともいえる現場である。
上京の折、若かりし頃の自分を求めて、どしゃ降りの中,おぼろげな記憶を頼りに30数年ぶりにその現場を訪ねた。当然の事ながら、街は様変わりしていたが何とか辿りついた。高層棟には外壁塗り替え用の足場が架かっていたが、植栽以外の殆んどが当時のままの姿であった。
2009年8月18日(火)
ある一言
数年前のことである。以前、雑誌掲載でお世話になった編集者から誘いの電話があった。
「御茶ノ水駅で落ち合おう。」都内の各線が集まっていて何処へ行くにも便利だそうである。
スケジュールは彼の頭の中にあり、後の事は全てまかせきり。彼の勤務先だった神田方面へ歩いて向かう。道すがら「これは磯崎新の設計だが現在は用途を変えて云々、あれは何々、この辺一体は
昔は・・・等々。」
午前11時前だというのに老舗のビール専門の酒場はすでに老若男女で満席に近い。
江戸、東京論に耳を傾けながら、通りの、今昔ごちゃ混ぜの界隈を見下ろす2階席で 
至福の一時を味わう。
「よし、次は紹興酒だ。いや、その前に珈琲がいいか。」・・・ 所を変える。
何れも老舗で、音楽と薀蓄(うんちく)つきのアルコールに文化の香りのチャンポンでいつもより
酔いの回りが早い。
都城でも現場撮影が終わるとしこたま飲んだ。話した。元来が作家志望の御仁でアルコールは 
めっぽう強い。文化と酒はセットであるとお互いそう思ってるようなところがある。
中央の有名建築家はいらん。地方で頑張っている建築家を採り上げる。一定レベル以上のモノを
創っている人を紹介してくれと言われ宮崎の建築家を2人ほど紹介した。また建築誌のコラム欄を一年間まかされのた打ち回った。そういう仲である。
「運ちゃん、今度新しくできた六本木の○○ギャラリーへ頼む。」
万事がこの調子で新宿発の居酒屋で閉めて最終電車に飛び込んだ。途中、建物を作品とよぶことの大嫌いな彼の発した一言を今でも時々思い出す。「建築家の連中が東京をこんな街にしやがった。」
彼の断定的口調に一瞬戸惑った。その後ずっとその一言を引きずったままでいて得心するのに
数年を要した。
最近、久しぶりに連絡をとった。地方では中々得られない濃密な時を得るために、求められた住宅の資料をそろそろ用意しなければならないと気ばかりが急いている。
2009年8月14日(金)
お墓参り
趣味と言うほどでもないが、広大な墓地を勝手な想像を廻らしながらうろつくのは好きなほうで、
遠方に出かけても墓地が目に入るとつい気になるのは若い時からの癖である。
桜並木の青山墓地をうろついて来たのが一昨年の春。その前は谷中の墓地。
その身を案じて、墓守のおばちゃんにやさしく声を掛けられている初老のホームレスの姿に
そう遠くない将来の我が身がダブったのを思い出す。一夜を墓地で過ごしたらしい。
さすが東京であるから歴史上の偉人賢人の墓に出会う偶然も楽しみの一つである。
わざわざでも訪ねてみたいと思うのが夏目漱石を筆頭とする明治期の文豪たちの墓。
広大さと言えば、ニューヨーク郊外でハイウェイから見下ろした墓地の大きさには、その美しさと共に驚いた記憶が蘇える。芝生の緑の中に点在する白い墓石の風景が数分間は続いたろう。
墓地と言うよりはパーク。さすがアメリカである。
墓のデザインで驚いたのが、旧ソ連から独立10年後の中央アジアはウズベキスタンのブハラを
訪ねた時の事である。早朝の散歩で偶然見かけ、高い塀越しにジャンプを繰り返したが意に叶わず、心を残してその町を後にした。
しかしその後、シベリア抑留で今は隣国の首都タシケントに送り込まれ、帰郷ままならず命を落とした日本人墓地にお参りする機会に恵まれた。広大な墓地の一角に佇む日本人の墓は、旧日本軍人の
勤勉さを伝え聞いた原住民の子孫の手により、代々無償で手入れされていると聞いて感動した。
話は逸れるが、列をなして作業場に向かう日本人捕虜に同情して、そっと食べ物を手渡す現地の人もいたとか。お返しにその場には折り紙が置いてあったという。
日本人捕虜だけの手になる劇場も訪ねたが、数々の震災に耐え立派に使われ続けていた。
ものつくりに長けた日本人の特質を物語る逸話である。
墓のデザインの話に戻る。
ブハラで気になった現地の墓であるが、例外なく、まるで写真を貼り付けたかのように、リアルな故人の姿が墓の表面に彫刻してある。リアル過ぎて、夜をイメージすると、日本の墓地で一夜を過ごす変り者のホームレスもさすがに此処では・・・?などと馬鹿な空想を巡らす。
UIA(世界建築家連合)世界大会(シカゴ)に参加した折、真っ先に訪れたのがメイフラワー号で最初にアメリカに移ってきたというイギリスのピューリタンの先祖の墓地であった。
開催地がシカゴと聞いてアル・カポネの墓を訪ねたいと思ったことを思い出した。シカゴには無く
収監地の○○島(名は忘れた)に有ると知ったのはずっと後の事である。
なんだ、やっぱり趣味じゃないかと勘違いされた同好の諸氏、間違っても誘わないで下さい。
墓参りだけは一人に限ります。
     
ボストンにあるピューリタンの墓地。質素さが歴史を物語る
2009年8月6日(木)
ふるさと緑陰講座
昨夜、ふるさと緑陰講座の準備委員会の名目で主要メンバーが喫茶ダビンチに集合した。
僕も初回からのメンバーで珍しく続いている。
本好き仲間同士の会話が楽しい事と、何といっても大河内先生の飾らないお人柄と
軽妙洒脱なお話に魅せられての事であることは間違いない。
ふるさと緑陰講座とは都城市出身で文芸評論家・大河内昭璽先生(前武蔵野女子大学学長)
を中心とする文学講演会である。
大河内先生の人脈に頼って、毎年この時期に作家仲間をお誘い頂き、
両者に講演を願おうというもので今年で20回目を迎える。
ちなみに昨年は、日南飫肥出身の小村寿太郎で有名な「ポーツマスの旗」の著者故吉村昭夫人
の津村節子先生で小村寿太郎記念館に案内したのが昨日のことのように蘇える。
(徒然記参照)。
思い返せば、九州の末端という地方にありながら、数々の高名な、しかも一流の人物の
謦咳(けいがい)に直接接することができたという事はまさに僥倖というほかない。
先生は数年前に体調をくずされ一時期開催も危ぶまれたが、20回という節目でもある今回
開催する事だけは決まった。再び元気なお姿を拝見できる日が楽しみである。
2009年8月5日(水)

「僕たちは何を設計するのか」建築家14人の設計現場を通して
日本の個性的な中堅建築家を主とする14人に対する若手建築家のインタビュー集である。
「僕たちは何を設計するのか」は迷いや不安感ではなく、それぞれの建築家の確信の表明であろう。
5年近く前に買った本であるがこれぐらい経つと内容はすっかり忘れている。
たまたまこの本のテーマが、今現在、僕の思い悩んでいることと一致したので
改めて読み直してみた。
建築物そのものだけでなく、建築物を含む周辺環境から人がどういう影響を受けるかが
当面の僕のテーマであり、最も関心の深いところである。
同じテーマに対して、他の建築家がどのような考え方で取り組んでいるのか、
その独創性や努力や勇気や忍耐力などを知ることは僕にとって励みになることであり、
また自分のレベルを計るバロメーターでもある。

2009年7 月27 日(月)
加齢
加齢臭などという言葉がある。はじめて聞いた時はカレー臭かと思った。
昔は無かった。辞書を引いても熟語としては出てこない。
加齢と臭は別物である証拠である。嫌な言葉だ。差別語である。
そういう年齢に達したという事もあろうが当の本人にはわからない。
耳の後ろ辺りから発するから、そこをよく洗えと太君(昔は細君)がのたまわる。
僕はニンニクとたばこを限りなく愛するから二重三重に臭うはずだと追い討ちをかける。
「俺の人生だ、放っといてくれ!」
そういえば、僕という言葉も使わないでくれと子供から哀願された事がある。
学校からの依頼で、娘のクラスメイトの前で話さねばならない時だった。
(今、気がついた!娘って良い女と書くんだ。・・・(*^_^*) (∵)?)
どうも子供専用の言葉だと思い込んでいるらしい。
ボクチャンと連動しているのかもしれない。が、当然拒否した。
万事において、個人が責任をとろうとしないこの国では、みんなが固有名詞を使いたがらない。
使うとすれば自慢話と人の悪口を言う時ぐらいか。
加齢の話に戻ります。都合のいい事に元気の出る詩があるので少し長いけど引用しましょう。
(マッカーサーや松下幸之助も座右にしていたとか。)
 青  春 
          
原作 サミエル・ウルマン
邦訳 岡田 義夫
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を
言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く
人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に
対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、
人生へ歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、
希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
 
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを堅くとざすに至れば、
この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。 
2009年7 月18日(土)
クライアント様々-2
前の話の続きです。日毎に心境の変化や物忘れが激しいので慌てて書いときます。
さて皆さん、有名建築家をどれぐらいご存知ですか?
かつての代々木オリンピック競技場や東京都庁を設計した丹下健三か、
先の東京都知事選でマスコミを賑わした黒川紀章ぐらいかな?
それとも次のオリンピック候補の東京で石原都知事から一切を託され、
テレビにも頻繁に出演している独学の雄の安藤忠雄でしょうか?
ところがこの三人は知らなくてもアネハだけは知ってたりするんですよね。
テレビの影響ってすごいですね。
今や世の中殆んどテレビで回ってるって感じです。
ところでクライアントの話でした。
今や国内外八面六臂で活躍中のその安藤さんですが大きい物だけじゃなく
手間がかかる割には実入りの少ない住宅の設計もするんです。
その中で同業のKさんという建築家の家を設計してます。
このKさんも知ってる人は知ってるという一流の建築家です。
自分でもできるのにちゃんと報酬を払って建築家が同じ建築家に
自宅の設計を依頼する。
お互いのそれぞれの思いや如何に?・・・これってどう思いますか?
上の二人と比較するのもおこがましいけれど、実は僕も似たような経験をしてます。
かつての上司で大手住宅メーカー出身の一級建築士でしたが、
依頼されてその自宅の設計をしたことがあります。
今ではかつての上司というよりは友人といった関係ですが。
同じ一級建築士ではほかに三人の家を設計してますが、
皆高校時代の同級生、ゼネコンの現場監督で設計に従事したことはありません。
ちなみに我が家は自分で設計しましたが、僕自身がクライアントだった事と、
なんせ無報酬だからもうひとりのクライアントである細君の
(その頃はまだそう呼べないこともなかった?。)
意見など聞くほうがおかしい。子供たちはまだ小さいから要望などありません。
したがって、今では両者とも文句タラタラ不平不満タラタラという体たらく。
まあ、そこはそれ、こちらの立場が立場だけにゼネコンもやりにくかろうと、
信頼して監理を怠ったのも事実。
相手はそれ程お人好しではなかったということもあります。
いずれにしても出来が良くありません。
やはり、安藤さんに頼んだKさんや、賢くも僕に頼んだかつての上司のように
僕もだれか誠実で才能にあふれた建築家にきちんと依頼して、
本当のクライアントとして言いたい放題我ままを言えるチャンスを
永久に失ってしまったという情けない話でした。
2009年7 月17日(金)
クライアント様々
ただでさえ敷居が高いと言われる建築家に設計の依頼をする人って
どういう人だと思いますか・・・?
これが実に様々なんですね。
まず職種から言えば無職、定年退職者(元サラリーマン、公務員)を筆頭に、
医師、歯科医師、弁護士、会社経営者、自営業、サラリーマン、
写真家、彫刻家、画家など千差万別多種多様。
そういえば現役の公務員はボクの場合、
身内以外これまでどういう訳か一人もいませんね。
年代別では20代後半から80才代までけっこう幅が広いです。
一時期、7~80才代が3件立て続けに続いたことがあって、
その時はさすがに知人や女房に最近老けたねなんて言われたこともありました。
家つくりって付合いが結構長いですからね。
昔の事です。最近はほんとに老け込んでしまいました。(悲)
関係性ではまず親戚兄弟、同級生を含む友人、知人に始まって
その紹介、仕事関係者、本に掲載されているのを見て、
最近ではホームページを見て、実際に建っている家を見てなどなど。
この中で実際に手がけた家の人の紹介とそれを見ての依頼というのが最も多いですね。
田舎の良いところでしょうか、良い話しも悪い話もすぐに知れ渡ります。
ですから地域的には圧倒的に地元都城が多いですね。
これまでで最も遠い所で大分です。
本に掲載されているのを見ての依頼で、都城の職人だけでやっつけました。
片道5時間の通いはきついですが今でも依頼があれば全国何処でもいきますよ。
知らない町へ行くのが好きなんです。
昔から現場のドサ回りが好きでしたね。次はどんな所だろうかと
期待感でワクワクしたもんです。
ですから勤め人の転勤とか、夜逃げで出て行ったらしいよとか聞くと
今でもうらやましくてしようがないです。変ですかね?
2009年7 月12日(日)
設計の終わり
設計者にとって「家の完成が設計の終わりではない」ことは
完成後訪れるたびに感じることです。
実際に使ってみた意見こそが最も貴重で参考になる事は
特に建築に限った事でないことは自明ですが、
建築の場合、自分で試してみることができません。
昨夜も2年前に完成した住宅に久々に呼ばれご馳走になりました。
といっても新しい依頼主のFさんが見学を希望され、
予定されていた友人家族達との食事会に日を合わせ便乗した次第。
みな旧知でその内の1家族はやはり以前手がけた家です。
美容室経営、医院経営のドクター、版画家。
みなそれぞれその道のスペシャリストです。
私が一番の年長ですが良いこと悪いこと忌憚なく意見を述べてくれる
貴重な仲間(と、こちらが勝手に思っている)です。
経年変化していく家や日々成長していく木々や子供達に囲まれ、
異分野からの刺激を受けながらの楽しい、
そして貴重なひと時を過ごさせて頂きました。感謝。
2009年7 月9日木)
自費出版
Yさん、2冊目の本を出されたんですね。
タイトル 「ここらでちょっと、ひと休み」 
ぜひそうしてください。
まだ読んでませんがメール便での謹呈有難うございます。
それと扉の都城市民会館の写真、うれしいですね。
都城で建築といえばこれしかありませんからね。
もちろん建築家なんて(私の知ってる限りに於いてですが)
残念ながらひとりも存在しません。皆自称です。
ずうずうしくも私もその一人で、
金の高さ安さだけで設計者を選定する役所の入札という制度に
過去ただの一度も参加した事がないという
その一点のみの自負において、この場に限って自称してます。
中身を読んでないんで表紙の感想だけでも、のつもりでしたが
話の逸れついでにもう少し。
市民会館解体の危機に遭った時の保存運動を思い出しました。
あの運動のおかげでこの地域に限らず建築文化に対する
世間一般の認識以前の無関心さを思い知らされましたが
あんなもんなんでしょう。
ここから先はまた改めて飲みながらゆっくり語りたいもんです。
遅くなりましたが今日のところはこれで失礼します。

「ここらでちょっと、ひと休み」著者 吉元章 発行所 草場書房  
捨て猫
世に猫好きは多い。私もそのひとりである。
昨日の夕方、一匹の子猫が我が家に迷い込んできた。
やせ細って元気がない。飼い猫のえさと水を与え、
暖めて保護したが一晩の命であった。
飼い猫との相性もあるが密かに飼う気になっていたのに残念!
名を与える間もなかった。せめてここに残してあげよう。( _ _ )……….o
(右端が飼い猫のナイルです。)

背中から尻尾にかけての連続したシンプルなラインが気に入っていたのだが・・・・
建築雑感-3
設計の始まり
はじめて敷地と対面した時、
「この場所にどういうモノを置けば良いんでしょうかねえ~。」と、
自分が専門家であることを忘れて思わずどこかの誰かに相談したくなる。
はたして期待どおりの良いアイデアがでるだろうか?
でるまで苦しむ、いや、苦しまなかったらでて来ないというべきか。
ひらめきと苦しみは表裏一体。
斯様に設計は常に期待と不安ない交ぜの中で進んでいきます。
石の塊りを前にして、
「あるべき姿がその中に潜んでいて私はそれを表に現わしてやるだけです。」
なんていう天才彫刻家か、
あるいは木と対話ができるとかいう造園家だったら
さしづめ”土地に耳を澄ませ!”とかっこよく言うかも。
さらには”大地に立って足の裏に全神経を集中しろ”とか”地霊を感じろ!”
と言う宗教家だっているかもしれない。
こんな事を書くと僕に依頼した人はもっと不安になるのでしょうが、ご安心下さい。
結果がどのようなモノになるかはこの時点ではまだ誰にもわかりません。
ボクの尊敬する或る建築家も申しております。
この不安が無くなった時は建築家をきっぱり辞める時だ!と。
創造とルーチンとは対極のもので当然の事ですが、
クリエーターとして覚悟を決めてスタートしているのが常人と違うところです。
2009年6 月23 日(火)
建築雑感-2
坪単価
「坪あたりどれくらいですか?」・・・
先立つものは金だから当然といえば当然、不安な気持ちがそう言わせるのはよくわかります。
しかし車の場合こうはいきません。
「トンあたりいくらでか?。」いないでしょう、まさか、そんな人。イクラナンデモ。
作ろうと思えば坪何ぼでも作れますよ、普通の木造住宅で坪何十億ってのも。
ダイヤモンドでも取っ付けちゃえばいいんだから。
えっ、安いほうの話ですか?
だったらチャンと設計して細かく見積りましょう。
坪いくらなんてあくまでもその結果なんですから。つまり積み重ねってことです。
法22条 延焼の恐れのある部分
「近頃の家って木造なのに外からは全然木が見えませんね?。
私、木が大好きなんですど。」・・・できないんですョ、それが。
火事で自分のところ以外に火が燃え広がらないように、
お上がそう決めてるんで逆らえません。
過去に大火がいっぱいありましたからネ。
鉄骨やコンクリートだったら自分とこだけですみますけど。
地域によっては外部に木を使える所もあります。
家のまばらな田舎や別荘地とか。いっその事そっちに建てますか。
土地も安い事だし。そうでなかったら中だけで我慢しましょう。
軒と庇
「外観は白い箱がカッコいいわ、軒というの?庇というの?あれいらない。」・・・
やめたほうがいいと思いますョ。
雨の多い日本で、木造で箱はいかにも無理があります。
それに箱入り娘は後で手がかかりますよ。
えっ!あなたも?なんて冗談ですが家も同じです。
庇はボクも嫌いだからぜ~んぶ軒でいきましょう。
貸しても乗っ取られる心配はありません。
思いきってめいっぱい出しましょう。
2m以内だったら坪数にも入りません。
何故だか知りませんがそう決まってるんです。
夏の暑い陽射しを遮った上に心地良い風を呼込んでくれるし家だって長持ちします。
カッコだって大丈夫!彫りの深~い外人みたいなイケメンにしてみせます。
2009年6 月15日(日)
建築雑感-1
「ご出身はどちらですか?」とは建築という道を選んだ理由と共によく質問される事の一つです。
幼少の頃、過ごしてきた環境が人の一生に与える影響は、
逃れようの無いDNAと同様に小さくはない。
大は大陸か島国か?北か南か?から小は都会育ちか田舎か?裕福か貧乏か?親の職業は?
住んでた家は?よく遊んでいた場所は?・・・等々。
あらゆる建築の設計をする時に最も強く意識するのは周辺環境や景観のことです。
例えば住宅でもよい、あるひとつの場所に住宅(物・オブジェ)を置くとします。
向こう何十年かはその住宅(物)がそこに居坐る。必然的に人目にさらされる。
つまりは環境を形成するということです。
設計者として依頼者の与件に応えるのは当然の事として、
それのみでは建物ではあってもまだ建築として成立していません。
完成した建物を見て、あるいは図面の段階でもそうですが
「建築になってないね。」とは
専門家同士でよく交わされる会話です。
ここから先が重要なのですが話がややこしくなるので
次回から少しずつ書いていきたいと思います。
いずれにしても一つの家を設計する時に僕が評価の対象とするのは、
直接お金を払わない子供達やその家作りに全く関与しない一通行人だったりするのです。
彼らの素直な感性やしがらみのない自由な立場から発する言動が
次なるモノつくりや環境つくりに対するヒントや勇気や執念を与えてくれます。

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