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2010 年9 月3日(金)
菊竹清訓講演録
都城市民会館についての講演録です。存続活動時に菊竹事務所の元所員で、当時無償で現場監理を担当された遠藤勝勘氏からある程度のいきさつは伺っていましたが、これは存続が決定してからの設計者本人の言葉ですので色々参考になるかとおもいます。
以下のような設計監理に関わる問題は、都城市民会館のような、時代の最先端を行く革新的な建築に限らず、我々に付いてまわります。都城市民会館の場合は、有名建築家の公共建築であるがゆえ、政争の具に利用され、さらにマスメデァの餌食になった訳です。しかし、元をただせば設計監理業務、単純に言えば”ものつくり”に対する発注者側の信じられないほどの無理解に起因するものです。
何はともあれ、一旦はその存続を否決された都城市民会館ですが奇跡的に生き残りました。この事は全国的にも稀有なことだと思います。後を引き受けられた南九州大学に今後を期待します。
日時:2008年6月7日(土)13:30~
場所:INAX:GINZA 8F セミナールーム
都城市民会館
これから少し設計仮説のことをご説明したいと思います。「都城(市民会館)」の問題は、設計事務所にとっては大変不幸な事件でした。基本設計をやって、実施の途中から市に「自分たちで監理をやる。事務所でやる必要はない」と言われました。なんだか子どもを連れ去られたような、そんな感じになりました。
都城市の市長は大変人格の高潔な、信望ある方だったのですが、都城の設計を選挙の道具にされて、蒲生(昌作)市長さんが退陣されることになりました。こういう事件が起こり、なおかつ“いろいろな問題は補足していけばいい”というふうに考えていたこの建物の計画が全部できなくなってしまいました。
ですから皆さんも用心をされた方がいいと思います。ものは完成すべき時には、ちゃんと完成させなくてはいけない。そして後から逐次、補強したり第二次工事でやったり、補完していくというようなことができない場合も起こり得るということを考えてやって下さい。私は痛切にこのことを感じています。
そこで手紙で市長に「監理だけは一緒にやらせてもらわないと、これだけの難しい工事だから無理だ」ということをお話しました。ところが案の定、外壁の施工のやり方で構造体に鉄板を取り付けるのに何を間違えたのか、内側に鉄板をつないでジョイントしていったことが後で分かりました。雨が降ると部屋の中に雨が洩ってくる。当たり前のことです。
だけど、不幸な事件というのは次々に連鎖反を起こします。あたかも設計が悪いかの如く記事にされました。だから情報の存在というのは、特に記者レベルでは、どんなところでどんなふうに宣伝されるか分からない。本当に恐ろしい時代になったと思いました。その市民会館は、実際にこれを引き取って、ぜひ使わせてくれという話が持ち上がり、南九州大学が今後の維持管理をやって下さることになりました。
そういうことなら、少しは最初の考え方が反映されることになれば良いが、と私は思っています。しかしこれは容易なことではありません。この建物が残るようになって、大学が使うことになりましたので、協力をして、できるだけ初期の目的を達成できることに努めたいと思います。
2008年6月7日三段階方法論“か・かた・かたち”を解く|菊竹清訓
2010 年9 月1 日(水)
現場
今朝は何となく落ち着かなくて早めに現場に行った。着くなりビックリ。一瞬自分の目を疑う。なんと!選んだものと似ても似つかない外壁材を貼り始めているではないか!。さっそく確認すると建材店の発注ミスが原因である。こういうのを虫の知らせというのだろう。とにかく早めに行ってよかった。
貼り始めている大工はどういうものが選ばれているのか知らない。現場に届けられたものをただ貼るだけだ。知っていれば当然貼るのを止めるだろう。
この現場が3件目の付き合いで、俺がこういうものを選ぶはずが無いだろうと思うのはこっちの勝手。すべてはイメージの世界である。共有しているはずがない。そこで反省と教訓。指示は末端まで行き届かねばならぬ。まだまだコミニュケーション不足だなあ~。
2010 年8 月26 日(木)
「CANADAの家」地鎮祭
午前10時より「CANADA の家」の地鎮祭でした。
祭壇:ちょっといつもと違います。いわゆる神式にのっとった儀式は一切なしで至ってシンプル。
塩、米がてんこ盛り。大量の塩、米、お神酒1升使いきりで入念に祓い清めて頂きました。「払いたまえ~清めたまえ~。払いたまえ~清めたまえ~・・・・・」
2010 年8 月25日(水)
「自然派の家」地盤調査
今日も朝から日差しがきつい。そんな中での調査でした。地目は宅地だが現況はかぼちゃの収穫後で畑。ちょっと間でも遊ばしておくのはもったいない。土地の有効利用は当然の事。今年は特に野菜が高い!なお「自然派の家」の工事進捗状況は「現場レポート5」でお伝えしていきます。
表面波探査調査法。事前に問題がないのは過去のデータで把握しているが、安心料と思えば安いもんです。ちなみに用途地域は第1種低層住居専用地域で住環境は近くに公園もあり申し分なし。
2010 年8 月20日(金)
「三股のコートハウス」上棟
「三股のコートハウス」の上棟式でした。前日まで基礎のみの状態だったその上にわずか1日で組みあがっていく、その速さに皆さん驚かれたようです。昔の家作りと違って、現在ではクレーンのおかげでその早さは比べようもありません。もちろん早さだけでなく労力のほうも。猛暑の中では特に大助かりです。
餅撒き。こちらの地方では”せんぐ撒き”とも言います。語源は「散餅銭の儀」という災いを祓うために餅と銭をまく儀式がもとになっているそうです。
子供たちのよい思い出となる事でしょう。
2010 年8 月19日(木)
マッチング
以下に掲げた10項目は、たまたま見つけた某マッチング会社の建築家登録審査基準である。ただし、対象が東京50社、大阪30社のみに限定されている。その理由は詳しく見ていないので知らないが、まさか地方を無視している訳ではあるまい。
登録後も年毎にチェックが入るようだから厳しさをウリにしている事だけは確かなようだ。ちなみに、NO10は全く自身がないが、依頼主、建築家双方の参考になるので取り上げてみた。番号に優先順位はない。(こちらで勝手につけた。)
1、 住宅設計に真摯な姿勢で取り組んでいるか
2、 住宅設計の実績が一定数以上か
3 、提案力は十分か
4、 コスト調整力は十分か
5、 施工についての知識は十分か
6、 問題解決能力は十分か
7、 コミュニケーション能力は十分か
8、 デザインの潮流や新技術・設備に対する感度は十分か
9、 建て主と共感できる生活感覚を有しているか
10、 人に不快感を与えない容姿か
2010 年8 月17日(火)
同窓会
”還暦で節目だから”ということで高校時代の同窓会。場所は志布志町のダグリ荘。
鹿児島県立岩川高校建築科昭和43年度卒業。1クラスのみで42名(女子1名)のうち参加者11名。二次会は串間市の酒場へ。下戸(建築屋ではめずらしいが仲間うちでは貴重な存在)のキャンピングカーで移動、盛り上がる。
宿へ帰ってから再度飲み直し。さすが若かりし頃より現場で鍛えられたドケンヤのオヤジ連中である。こっちも現場からのスタートだから似たような経験をしているが、さすがにスーパーゼネコンは違う。帰省組みの直に接しての、表に出ない有名建築家の動向などの生の情報はありがたい。
2010 年8 月12日(木)
手刻み(三股のコートハウス)
先に取り上げた(地鎮祭)木造住宅の大工工事の「刻み」の様子。大工さんは今回で4件目のお付き合いである。刻みといえば今ではプレカットが主流だが、僕は「手刻み」にこだわりたい。
理由はいたって単純。機械は自分で考えないから加減しないというかできない。効率一辺倒で容赦がない。効率が良いに越したことはないが一辺倒が問題で、木のクセも何もあったもんじゃない。プレカットで機械に切り刻まれていく様子を見ていると木が痛ましく思えてくる。
それに比べりゃあ「手刻み」は見てるだけでほっとします。そこには刻んでる人とモノとの間に会話がある。格闘があり、手加減があり、いたわりがある。つまり、彼らは1回は切り倒されてしまった木に再び新しい命を、直接自分の手を介して吹き込んでるってわけです。
板図 : 設計段階でさんざん考え悩んだ結果がこのような板切れ1枚に変換され、家が建つ!というかこれ無しでは建たない。設計屋がなんぼのもんじゃ!と言われてるような気がしないでもない。
下の写真は船大工の板図・・・はじめて見たが家と舟との違いがおもしろい。

板図は、船大工が船を新造する際に板に描いた設計図で、一般的に側面図と中心線から半分の平面図が描かれています。縮尺は、1尺(30.3cm)が1寸で表すと便利なため10分の1になっているのが普通です。
板図は基本的な構造を描いたもので、生簀、船倉などの付帯構造は、本体構造が出来上がったあとで、船主と船大工が相談しながら付け加えていきます。 この点が建築や機械の設計図とは大きく異なっているところです。・・・房総の舟HPより
2010 年8 月4 日(水)
「三股のコートハウス」地鎮祭
10時から住宅「三股のコートハウス」の地鎮祭。連日の猛暑の中、全国各地で熱中症での死亡が報じられている。今日は初老(今年、還暦の自分のこと)から生後3ヶ月の赤ちゃんまでということで、テントは必需品。
神主さんもテント張りから参加、彼も同じ思いのようで、聞けば最近心臓で危ないところだったらしい。何はともあれ無事終わる。
祭壇・・・・・海の幸、山の幸を神前に供え、お神酒、米、塩で清め、ひと時の聖地と化す。
こんな家です。明日から工事に入ります。工事の様子は現場レポート3で逐次アップしていきます。
2010 年7月22 日(木)
「坂本竜馬記念館」建築設計競技
TV(NHK)で坂本竜馬をやっているが見てはいない。司馬遼太郎の小説を読んだのは20代半ばの頃。おもしろかった。ゆえにTVは見ない。
今、何故、竜馬かは知らないが思い出したので昔の本を引っ張り出してみた。竜馬についての本ではない。現在建っている「坂本竜馬記念館」が建つ前の設計競技(コンペ)の記録集である。
「坂本竜馬記念館」構想設計競技記録」 1987・11 → 1988・9
編集・社団法人 日本建築学会 発行・竜馬生誕150年記念事業実行委員会。
(そういえば昨年の「ふるさと緑陰講座」の演題も坂本竜馬であった。講師の作家出久根達郎さんの送迎までし、のち著書まで頂いたのを今思い出したのでついでに。よかったら読んでください。竜馬語録で役にたちます。)
設計競技の話である。審査委員長が磯崎新で審査も公開されるとあって応募案は国内外合わせて475案、この規模の地方コンペでは空前の数だったらしい。
途中から浮上し最優秀をかっさらった新人の高橋案。磯崎委員長は女性の埋もれた案を拾い出すのがうまい。ザハ・ハディドの活躍を見よ!
読み返していて気がついたのだが落選案の応募者の顔ぶれの意外性である。現在第一線で活躍中のメンバーが上位100選にも入ってない。
主だった数人だけでも、つい先日プリツカー賞の栄誉に輝いた妹島和世、いまや世界を舞台に大活躍の隈研吾、他に山本理顕、古谷誠章,野沢正光、竹山聖、新井千秋、團紀彦、シーラカンス、鹿児島離島出身の山下保博、重鎮の村松貞次郎のほか、相田武文、渡辺豊和、小宮山昭、六角鬼丈、高松伸、東孝光は安藤忠雄と同じ野武士世代。
同業だったらだれでも知ってるだろうという人だけでも以上のような多彩さである。まだまだあげればきりが無い。感心するのは老若男女、有名無名を問わずチャレンジする彼らの精神である。その積年の蓄積が現在の彼らを作っている。
優秀・星野拓郎案 フリー
雄大な構想力と抜群の表現力で断トツだったが予算面で実現不可能と判定され2位に甘んじた。
ところで最優秀案の実物を見たのはオープン直前だから18年前、足場は取れていたが内部はスロープを上りガラス越しに。遠望して見上げた印象”なんかドライブインみたいだなあ~”なんて思ったっけ。メインと思われたそのスロープは現在未使用で他のアプローチからだという。訳は知らないが”意味ないじゃん”って感じ。
font>竜馬といえば海援隊。船をモチーフとしたものは多かった。
応募当時JIA(新日本建築家協会)会長でもあられた北代さんとはUIA(国際建築家連合)北京世界大会でご一緒した。敦煌月牙泉の砂漠の山”鳴沙山”の美しさに引かれ、猛暑を押してただ一人駆け上ったら”さすが九州男児!”なんておだてられたのがなつかしい。あの頃の元気はもちろん今はないが飲んだ時だけは元気です。その北代さんも数年前に逝去された。気さくな方でした。

地元の青年達が資金集めに苦労しながら完成に漕ぎつけた記念館。1991年11月オープン
2010 年7月17日(日)
口蹄疫
ついに例の種牛が牛の親分みたいな顔をした大臣に殺された。飼い主の悲痛な訴えも家族同様の命を守るに至らなかった。有識者に限らず日本人の大半が「リスク回避のためには、かわいそうだが致し方がなかった。」というところだろうが釈然としない。
何に釈然としないかは言うまでもない。この国のリーダー達の不甲斐なさに対してである。あまりにも未熟で幼稚であきれ返るしかないが、こうなったら一刻も早く時限付き大連立でも組んで政局を安定させて本来の仕事に専心することを願うのみ。
(日本人へ 国家と歴史篇 塩野七生著 文春新書)参照
写真は昨年行ったインドの光景である。日本のかわいそうな牛達と比べてなんと平和な牛たちよ!
牛だけでなく犬も、山羊も、猪までもたむろしていたのには正直驚いたもんです。
2010 年7月4 日(土)
地盤調査
長引く雨模様の回復を待って、昨日ようやく住宅の地盤調査を行うことができた。これまでのスウェーデン式サウンディングに変わって、はじめて表面波探査調査法を採用した。敷地周辺の既存データから地盤の状況は予想できるが、クライアントの安心料として調査は必然の事として行う。
いまだに納得いかないのが昨年の法改正(姉歯問題に起因する住宅瑕疵担保補償法)である。施主を悪徳業者から保護するという大義名分と裏腹に負担のほうがはるかに大きい。
これまでの性善説から一気に性悪説転換し、すべての業者を手抜きする悪徳業者と決め付けた措置で、いかにも現場を知らない官僚の考えそうなことである。原因はもちろん姉歯にあるが、この問題を抜け目無く金儲けに利用するという負の連鎖は官から民まで、増えこそすれ減ることはない。
自らの責任に対しては頬かむりですまし、場当たり的な法制化で処理するという手法は、真面目にモノつくりに取り組む人々の夢まで奪ってしまった。業界団体の奮起を促したいところだが、ただでさえ先の見えない長期不況のところへ口蹄疫で止めをさされ、打つ手がないというのが宮崎県における現況である。
参院選を前に、自らの内輪もめに口を閉ざした民主党はぬけぬけと超党派を訴えている。超党派でもなんでもよい、真っ先にやるべきは景気対策というのが地方に生きる者の切なる願いである。口舌の徒の連呼が空々しく聞こえる。
2010 年6 月29 日(火)
アーキテクトー建築家とは何か
”五重塔読んだ人いますか?本は少なくとも3回読み返せと言います。” ひと月位前だろうか、建築家の安藤忠雄を久しぶりにTVで見た。68歳とあったから2年ぐらい前の収録であろう。大手ハウスメーカーに請われての自社設計の住宅の公開シーンで自ら説明していた。若い参加者に向けての言葉である。
最近、昔の本を読み返している。”アーキテクトー建築家とは何か”は20年前発刊の本のタイトルである。著者のロジャー・K・ルイスは大学で教える傍ら設計事務所を主宰しているプロフェッサー・アーキテクトで訳者も建築家。
目次の一部を紹介する。
第十二章 建築家(アーキテクト)のタイプ
名門建築家
芸能人的建築家
プリマ・ドンナ型建築家
知性派建築家
評論家型建築家
現実派建築家
真面目一徹型建築家
コツコツ努力型建築家
ソーシャル・ワーカー型建築家
空想家型建築家
マネジャー型建築家
企業家型建築家
やり手型建築家
加入好き建築家
詩人・哲学者型建築家
ルネサンス人型建築家
2010 年6 月17 日(木)
流行(はやり)について-終わり
流行といえばツイッターが有名無名を問わず大流行である。ケータイが活字化した程度のものかと思っていたら、政治家のプロパガンダから友人同士の交換日記的なものまで、その使用目的も多種多様で、まあ~、世の中便利になったもんだ。
そんな中、あの面倒くさがり屋を自称する横尾忠則もやっていた。ほかに日記も書いている。ただでさえ絵も描けば本も書評も書いてるのにだ!。
ツイッターで、お互いのやり取りの事を”フォローする、しない”と言うらしいが、さすが横尾忠則、その”フォローする”がゼロである?。根っからの面倒くさがり屋で、「横尾語録」だけが目的のこっちとしては読みやすくて大助かり!。(フォローの意味がもうひとつよくわからん?)
横尾忠則といえば、何故か若い頃から気になる存在で、今でも時々本など読んでいるが、決定打は大阪万博。あの現場の足場が付いたまんまの提案にはびっくり!。以来、おかげでパリのポンピドー完成発表時には免疫ができていたし、氏のアーチストとしての哲学や交友関係を含めた人物評など興味は尽きない。
それが垣間見れるのは助かるが、はたしてツイッターの功罪や如何に・・・すべては自分次第というところか・・・・・これってツイッター的?
あっ!そういえば、氏はこういうこともつぶやいていました。
「沈黙は金、ならば、つぶやきは貧・・・・・?」
2010 年6 月12 日(土)
流行(はやり)について-12
流行について語ることは、歴史について語ることでもある。還暦を期に、未来を探るために自作他作を含め過去を振り返っている。いささか荷が重いところに下記の文章に出会った。(土居義岳:九州大学芸術工学研究院・教授、建築史)
毎度のことながら建築力の差をかんじる。建築も文化として蓄積されることとなると、地域の建築力は歴史力でもある。地域の卓越した建築家がその地域で活躍する、その蓄積が遺産と成る。
わかりやすい指標は建築学科の存在であって、明治から建築学科があった地域、戦前からの地域、戦後やっと建築学科ができた地域、では蓄積された遺産としての「建築力」はまるで違う。おそらく経済力の2乗か3乗くらい違うのではないだろうか。
自分の地域にある建築遺産を語ることで、普遍的に建築を語ることが可能になった地域は、建築文化においてテイクオフしている。それは東京と関西くらいであろう。地方が参加するのはおそらくもう50年か100年待たねばならない。・・・などと、わかりきったことだが、羨望のまなざしでページをめくったものであった。
「村野藤吾研究」発刊においてのコメントの一部抜粋である。福岡に居てさえ、そのようにかんじるのだから、大学に建築学科を持たない宮崎県では何をか言わんやである。
土居教授の語る 地域の卓越した建築家がその地域で活躍する、その蓄積が遺産と成る。・・・それはそのとおりで、むしろ、語って欲しいのはそこから先で問題の核心はそこにある。
都会や海外で活躍している地方出身の卓越した建築家は数多い。元来が文化的土壌の培われてない地域で、活躍する場の確保がいかに困難であるか!。
仮に、骨をうずめる覚悟で、出身地域に活躍の場を求める奇特な人間が現れたとしても、早晩スポイルされるのが落ちで、そうでなければ再び活躍の場を外に求めざるを得ない。事実、そのような例を身近に知っているだけに格別にその思いが強い。
建築文化の蓄積など夢のまた夢で、わかりきったことを、こちらもついつい書いてしまった。・・・口蹄疫で国をあげてのテンヤワンヤのこの時期に、メシの種にもならないバカな事をと、お叱りを受けそうであるが、広島の復興に想いを致すのも意味の無いことではない。村野作品の広島の代表作と「村野藤吾研究会」会長の建築家:菊竹清訓(都城市民会館設計者)の言葉を紹介して次回に続く。
「私にとっての村野藤吾」 菊竹清訓
日本の建築家を代表するのは、村野先生をおいてないと思う。その理由は、作品が日本の文化のすべてを語っており、欧米の現代建築と比較して、際立って圧倒的な存在感をもっているからである。
それがどこからくるのか。全く不思議で、これを現代和風といえば、村野先生は恐らく即座に否定されることだろう。だから、村野風とか村野調といわれてきているが、この素晴らしさが、世界に正当に評価されるには、時間がかかり、恐らくその評価は分裂して統合が甚だ難しいように思う。
それは、重層する文化の蓄積についての評価が、欧米日いずれも同じになりそうだからである。ただそこに、一筋の道が見えるかどうか。道があるはずだと思うがどうか。社会が建築家を必要とするかどうか。それらが分かれ道となりそうである。

世界平和記念聖堂(国重要文化財)1954年竣工 広島市:3年前にアポなしで訪ねたにもかかわらず、懇切丁寧な案内を受けた。随所に日本の伝統的ボキャブラリーが散りばめられた、手作りそのものの名作。45mの鐘楼にも上れます。
2010 年6 月10日(木)
流行(はやり)について-11
10数年前に手掛けた、庄内町庄内小学校前の末原歯科医院です。
遠景:右手が庄内小学校。入り口に2本の巨樹が控える。庄内は石垣と共に歴史を物語る巨樹の町
でもある。
木造とRC造の混構造。自然素材の木を多用することで親しみを持たせたデザイン
近景:連続した屋根の三つのボイド部分のうちのひとつは診療室のハイサイドライトからの採光用。
二つ目の住居部分のボイドは、日陰と通風を要する大型犬2匹のスペース。そして三つ目がロフトから出入りできる屋根テラスである。
2010 年6 月9日(水)
流行(はやり)について-10
期せずして、流行というテーマが口蹄疫と重なってしまった事は以前にも書いた。その口蹄疫がついに全国でも有数の畜産王国である我都城に飛び火した事を先ほど知った。私の出身地でもある隣の鹿児島県曾於市もヒヤヒヤもんだろう。なんとか最小限の被害ですむ事を祈るばかりである。
様々の風評が乱れ飛んでいるが、負の流行としての伝染病については全くの門外漢なので、ここでは触れ置くに留めて本題に戻りたい。
先に庄内町の願心寺を取り上げたが、ついでに同地で手掛けた過去の物件ルンビニ保育園と末原歯科医院を(次回)取り上げる。
大ホール近景:落成時、金ピカだった銅板葺きの屋根も大分落ち着いてきている。
広縁:大らかなスケールの大きい人に育ってくれる事を意図して設けた空間。子供達はお休みの時間。ニャンコが一人占めしている。
2010 年6 月7日(月)
流行(はやり)について-9
流行というテーマと対極にある、伝統建築の現場の様子を紹介しよう。
場所は都城庄内町の願心寺。本堂と山門が国登録文化財(平成16年)の浄土真宗寺院で、その増築工事である。
一般住宅の現場と比較して、職人の動きから足場の組み方、養生の程度まで現場の雰囲気が全く違う。根本的にものつくりに対する姿勢の違いに大きな開きがある。
清掃の行き届いた中での作業は、工匠同士の無駄口が一切無く、それぞれの持ち場に集中し、適度な緊張感を伴いながら、静かな且つ厳(おごそ)かな空気が支配している中で進んでいる感じである。
足場にしても、作業性に対する配慮は言うに及ばず、構成材(柱、梁、土台、足固め等)のひとつひとつを守るように組んであって、脚立や梯子などの移動物は慎重に排除してある。
世を席巻している、早く安くの効率第一主義とはここでも対極にある。
本来が高い安いなどの評価は物との相対的な価値観において判断されるべきものだという、ごくあたりまえのことが忘れ去られているか、或いは狡猾にそして意図的にはるか遠くの彼方に追いやっているのであろう。つまりは流されているのである。
ここでの工匠たちも、その大半は流行に敏感な若者たちであるが、寡黙に、そしてひたむきにこの世界に身を投じている姿がぼくには限りなくカッコよく映る。
ちなみに施工は京都、職工はすべて正社員という徹底したものつくり集団である。(設計は伝統建築研究所)
本堂との接続部分:立ち尽くすこと数十分・・・悩める現場責任者の監督
2010 年6 月6日(日)
流行(はやり)について-8
前回に引き続き初期の頃の自作の紹介です。撮影日は前作と同じ。RC造2階建ての住宅です。
表側:玄関導入部分。25年経ってもきれいである。メンテナンス的視点からのみ言えば、さすがにタイル張りは持ちがよい。
前面道路が狭い(幅3m)ので、道行く人に圧迫感を与えないよう外壁を変化させて視線の抜けを作り、後退部分には植栽を施した。
外壁はタイル張りだが、汚れても目立たないような所はペンキ仕上げにしてコストを押さえている。
裏側:南庭側。楠木(くすのき)がソテツに代わっていた。おそらく育ち過ぎたのと落葉が原因だろう。コンクリート打ち放しの塀はご覧のとおり黒ずんでいる。タイルとの違いが一目瞭然。
2010 年6 月5日(土)
流行(はやり)について-7
さて、先日に続き昔(25年前)の作品の現在の状態の写真です。(旧S邸。現在は隣家の所有になった由だが現状は空き家状態。)撮影日はT邸と同じ。
先のT邸と違って、完成以来、全くと言っていい程メンテナンスがされてなかったコンクリート打放し仕上げの平屋の住宅。先のT邸と比較するとその差が歴然としているのが見てとれる。当時850万でできたが現在ではとても考えられない価格である。当時は木造も鉄骨もRC造も坪単価にたいして差はなかった。
長い事この仕事に携わっていると、所有者が変わるという経験は、この家に限らず他にも数軒ある。栄枯盛衰は世の習いでしかたがないが、空き家状態はなんとも寂しい。家も呼吸していないと朽ち果てる。なんとかもう一度新しい命を吹き込んで欲しいものである。
この家の工事中、その様を見て依頼されて作ったRC造の住宅がすぐ近所にある。同時期の作品として次回取り上げる。
さすがにガラスという素材はすぐれもので屋根に使用したもかかわらず、劣化が目立たない。
床の玄昌石もコンクリートという素材に対峙していて本物の味を出している。
ここら辺は完成当時のままであろうことが上の写真との比較(壁の色の違い)でわかる。
シンボルツリーのヒメシャラが随分成長していた。
2010 年6 月4日(金)
流行(はやり)について-6
流行について書き始めた理由の一つの例として先に取り上げたのが、まがい物の建材の氾濫による景観への疑問と不満であったが、もちろんそれだけではない。それだけだと単なる批評や批判に終わって何ら専門家として寄与した事にならない。
一個人としてできる事は自らのデザインの方向性を見定め、それに向かって腕を磨き上げることは言うまでもないが道は遠い。そこで一歩でも前に進むために!!初期の頃の作品を通して自らを振り帰ってみたい。
ちなみに小生のまわりの友人知人どもは、口を開くと昔話や孫の自慢話(写真付き)がほとんど、たまに未来を語るかと思えば年金の話で、いささかうんざりしているのでありますが、けっしてその類(たぐい)ではありませんので誤解のないように!
写真は30年前に設計した知人の住まいです。(T邸)2日前に撮ったものですが以外にきれいでびっくり!。自分の設計したものは出来不出来は置いといて、何年経っても愛着が強いのできれいでいてくれると、やっぱりウレシイもんです。
極端な変形敷地で、プランは三角形が基本で外観にそれがよく現われています。
設計では、写真の左側にもうひとつの三角形(客間棟)と対をなすように計画されており、ふたつの三角形の組み合わせが完成形でしたが実現せず、バランスを欠いたまんまで、いつの間にか30年経っちゃいました。
現場では若さ余って屋根の野地板張り(下地材)を手伝い、ほとんど一人で張り上げた記憶が思い出されます・・・これってやっぱり昔の自慢話かなあ~・・・?。今ではすっかり年寄りあつかいで複雑な心持ちでアリマス。
遠景:当時は殆ど目立たなかった周りの木々の成長が30年という年月を物語っています。
実によく手入れされていて、住まいに対する愛着が伝わってきます。
2010 年5 月22日(土)
流行(はやり)について-5
くしくも今、我宮崎県では4月20日に発生したという口蹄疫の対策に追われ大童(おおわらわ)である。10年前にも92年ぶりに宮崎と北海道で発生したという。
にもかかわらず初期対策の遅れがここまで蔓延したとされる。僕が知ったのもだいぶ後になってからの事で連休中は知る由もなかった。
偶然、テーマが重なってしまったが流行にもいろいろあって幅が広い。広過ぎて取り止めがつかなくなりそうだがもうしばらくこのテーマを続ける。
家畜の生死にかかわる口蹄疫対策の遅れと、文化としての景観意識の欠如の問題を同じ俎上(まな板の上)で論ずるわけにはいかないが、”しょせん他人事じゃないか”という点での共通項が有りはしないだろうか?
必死で頑張っている東国原宮崎県知事の立場や行動を、理解しようともしない、又はできないで一方的に責め立てるどこかの記者の態度にそれがよく現れていたように思う。
景観の話に移ろう。景観は誰のものか?言わずと知れた公共建築は誰のものか?個人の所有に帰するところの住宅の外観はいったい誰のものなのか?
アメリカ建築界のゴッドファーザー的存在であったフィリップ・ジョンソンが言っている。
■ 「住宅をうまく機能させるためのやりくりが美的な創意にまさってしまったら、それはもう建築ではない。それは、ただ有用な部分の寄せ集めに過ぎない」
■ 「私は、私の芸術にただひとつ偉大な分野があることに思い至る。それは人のための住まいである」
■ 「よい建築は金のかかるものだ。文化というものは金をかけた建築によって記憶されるのだ」
■ 「建築は音楽と同じく、はらわたにこたえてくるものでなければならない」
2010 年5 月21日(金)
流行(はやり)について-4
そもそも、単体としての家の集合である町並がちっとも美しくならない。「もうちょっとどうにかならないのかなあ」という思いがあって書き始めたのが、書いてるこっちの文章がどうにもならなくなるような予感がしてきた。が、続けてみよう。
「もうちょっとどうにかならないのかなあ」の代表選手が、レンガ模様の外壁サイディング貼り。
「本物のレンガなんてとても手が届かないし、あこがれの洋風スタイルで丁度よかったわ!」ってとこでしょうかねえ?。
最近は窯業系サイディングの種類も増えて、模様張りって言うんですか?あれも頂けませんね~。
ただでさえ小さい家に、まるで使わなきゃ損とばかりに色も形もごちゃ混ぜに。
それぞれに個を競ったつもりの家が、集合すると・・・?なんだ、みんな一緒じゃないか。それにしてもユニークだなあ~・・・と僕が外人だったら思うかも。
と、ここまで書いてレベルがだんだん落ちてきて我ながらイヤになってきたところで、昭和初期に日本を訪れた”知の巨人” “美の航海者”とも評されるドイツを代表する建築家ブルーノ・タウトが、最初に目にした港の先の風景の中に洋館を見出し、日本文化の行く末を案じたという逸話を思い出したので以下に少し紹介して次回に続く・・・。
※ 以下、タウトの高弟水原徳言氏の文から一部を抜粋
日本の庭園と建築が住のように調和し行届いた管理で守られているところはない。 始めから柱を見てしまったタウトはやがてそれは唯一の例外で、それを超えるものはなくあまりにも俗悪なものの多いことに驚き、また日本人は果たして自分の持っている貴重な文化をそれと知っているのだろうかと疑わざる得ないようになった。タウトが日本について様々の酷評を示していることもそう考えると当然な帰結だったのである。
2010 年5 月19 日(水)
流行(はやり)について-3
流行(はやり)などという言葉に引っ掛かってしまったために、前回、前々回といろいろ書いたが、いざ書き始めると、全く思わぬ方向に行ってしまって、自分の中にもやもやと消化不良感が残っている。
ようするに言いたい事は殆(ほとん)ど書けてない。そこであらためて書いてみたい。
実は言いたい事はたった一言。近年の日本の住宅及び町並が美しくないという事である。家を建てるという事は大事業であるから、個別的にはそれぞれ必死だったはずですよね。にもかかわらず、集合すると特に、ただ新しいだけでちっとも美しくない。
もちろん、日本以外の住宅や町並がすべて美しいというのではないが、それにしてもと思う。
自分の力ではどうにもならない法律の縛りや、今現実にこの時代を生きていかざるを得ないという大きな社会的時代的要請など原因はいろいろあろうが、ここでは一番身近なここ最近の住宅に限って考えてみたい。
美しくならない要因として、まず真っ先に考えられるのが、よく言われる極力無駄を廃するという効率第一主義、なるべく楽をしたいという便利第一主義、公共心の欠如からくる自分第一主義であろう。
一戸建ての家を建てる場合、誰しもが広くて安くて周囲の景観が良くて、しかも学校や病院に近い、買い物の便利な場所に、安くて丈夫で安全な、手を入れなくても長持ちするカッコいい家を建てたいとおもうだろう。
集まって住むのが普通の人間の本能だから、ある程度の他人との付き合いはやむを得ないとして、近所に変な人がいなければ言うことなしだが、これは運を天ににまかすしかないが、まあ一人二人はいると思ってたほうがいいだろう。
自分だって他人から見たら変かもしれないし、だけど、自分だけはまともだとおもって生きているのが普通だったら、大半の人は普通ということになる。
変な人と言えば、僕などは小さい頃から人と同じ事をするのが嫌な天邪鬼で、これは今でもそうである。だから人真似は嫌いだし、真似したらアーチストとしておしまいだと思っている・・・と、今度は美しさの話しから逸(そ)れそうになってきたので次回に譲るとしよう。
2010 年5 月16日(日)
流行(はやり)について-2
流行について真面目に考えてみようと、柄(がら)にもないことを思ったのがそもそもの間違いだということに気づいた。考え始めたとたんに気が重くなる。よくよく考えてみたら、自作に限らず殆ど流行などというものに、これまで無頓着だったし今でもそうである。
但し、過去の自作にそれらしきものが全く無いかというとそんな事もない。その一つがコンクリート打放し仕上で採用の理由はクライアントの要望。仕上げの予算もなかったので素直に従ったが、コンクリート打ち放しの代名詞ともいえる安藤忠雄(日本を代表する建築家)に似ない事だけを心がけた、というかできない。
予算不足が原因で打ち放しにした家は他にもあるが成功した試しがない。「やっぱりこの程度か」で終わっている。理由は施工技術の未熟のほか知識不足などいろいろあるが、それほどにむつかしい。結論を言えばお金と時間をきっちりかけないと中々うまくいかない。
以来、部分的にしか採用していないが、個人的にはコンパネ(ベニヤ板)のプレーンな仕上よりは、木目(もくめ)を写しとったモノのほうが好みである。コンパネに比べて手間がかかるがその風合いは捨てがたい。
かたちの流行でいえばR型の屋根(丸い屋根)がある。流行に敏感な現代音楽を業とするクライアントの「初めて我が家を訪れる人に場所の説明がしやすいので是非!」の一言(ひとこと)で、元来(がんらい)が木造在来工法で無理があったが、技術的には難なくクリヤーした。先日久しぶりに見て、予想以上に状態もよかったのでカメラにおさめた。
テーマをはずれて技術論みたいになってしまったので話しを戻す。
わが国では、アントニン・レーモンドに始まるというコンクリート打ち放しも、以後、連綿(れんめん)と採用され続けている。流行り廃(すた)りというが、時間的にどれぐらいのスパンを言うのかは明確でない。ある程度の期間、世に受け入れられ生活様式として定着したら文化だという。
さらに思想的流行りもある。建築で言えばポストモダン(モダン=近代の次という意味)がそうであったし、さらに遡(さかのぼ)れば戦前の帝冠様式(ていかんようしき)もそうである。こんな事を考え始めると建築史(建築の歴史)の話になりそうなのでここら辺で止める。
(帝冠様式とは昭和初期に流行した洋風の建物本体に和風の塔や寺院の屋根を乗せたもの)
(アントニン・レーモンド : チェコ出身の建築家。フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日。その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残す。日本人建築家に大きな影響を与えた。)
2010 年5 月15日(土)
流行(はやり)について-1
建築もファッションであると言ったのは、たしか、建築界の大御所磯崎新だったか?。十数年前に新聞のコラム欄で見た憶えがある。先月、還暦を迎えたのを機にこれまでの三十数年間の作品を見て廻って、改めてそのような事を考えている。
幸いに殆どの作品が都城近辺にあり、所用のついでに思い出しては現在の姿をいくぶん遠慮がちにカメラに収めているが、さすがに、あまりに好みじゃない色に塗り替えてあるものや、他人の手が入りすぎたものにはシャッターを押す手が止まってしまう。
色の問題については、特に流行色という言葉に代表されるし、人それぞれの好みの問題も大きい。また、建築家が、何故黒を多用するかも改めて考えたい。
さて、三十年も経てば、当然色々あって、既に亡くなった人、住み手の変わった家や経営者の変わった店舗や会社など、作った当時を思い出すと複雑な思いが頭を過(よぎ)ったりする。
そんなことを想うと、ちょっと感傷に浸りそうだが、ここでの目的はそれではない。時代の大きな変遷に伴う生活様式などの変化の中で、これからも作り続けるであろう家のデザインの模索のための邂逅(かいこう)である。
この還暦という節目に、これまでを振り返ることで自分自身を客観視すると同時に、最近の家の作りように対する疑問を「流行」をキーワードに考えてみたい。
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独立間もない頃の住宅2題(28歳~)鉄筋コンクリート造
2010 年5 月11日(水)
夢
夢をみた。なんでもアフリカのどっかの国で、黒人の友達とラーメンを食うシーンである。はじめての店だったので味が心配だったが一口食ったところ意外といけた。意外といけるねと友達に言おうとしたところで目がさめた。じつに惜しいことをした。
夢と言えばフロイトだろうが僕にとっては横尾忠則である。自分の見た夢の数々を本にまでしている。夢なんてすぐ忘れるもんだがよく覚えてるもんだと思う。昔から変な人に興味があって若い頃数冊読んだがあんな正直な人見た事がない。
読んだといっても、まあそこそこで適当に読み流していたという程度。ところがここ最近急にこの年になってもというかその関心が全く衰えていない事に気づいた。
そして今、改めて読み直しているがこれがおもしろい。宇宙人の彼女がいるだの、実際にコンタクトがあったのとかの話には?だが、へえ~っ、て感じでそんなバカなとか、やっぱり少々おかしいなとかは思わないのである。
単なる好き嫌いの問題かもしれないが角川春樹とはあきらかに違う。横尾忠則はやっぱり天才だ。ぼくは何の世界でも天才膚が好きであとはどうでもいいやと常々思っているところがある。最近で言えばイチローがそうである。
では、建築界はどうだろう?と考えて、ルイ・カーンを読み直しているところである。
2010 年4月29 日(水)
無名のデザイン
庄内川に添って泳ぐこいのぼり。庄内町の入り口で、誰にでも目に付くこの場所の発案者が誰かは知らないが、関の尾の滝と関連付けて見るとおもしろい。この季節の風向きも折り込み済みなのだろうか、関の尾の滝に向かって泳いでいるように見立てることができる。
もし、そうであるなら鯉の滝登りといった中国の故事もちゃんと押さえている事になる。場所に恵まれたとはいえ、心憎いばかりの演出である。
中国の故事:(中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。)
そもそも、こいのぼりは門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。
端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。
一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。
さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものである。
ウィキペディア(Wikipedia)
2010 年4月21日(水)
オープンハウスを終えて
住宅の展示会を終え、最初の出会いから今日までを振り返ってみる。依頼を受け、はたして良いイメージが浮かぶだろうか、毎回の事ながら、期待と不安を胸に、はじめて敷地に向かう道中がつい昨日の事のように思い出される。
西側を流れる川より一段高い敷地に立ち周囲を見渡す。この川に開けた眺望を生かさない手はない。問題は方角である。日照信仰の強い日本では東南方向に開いて作るのが常道であるが、川面を渡る涼風や落陽もまた捨てがたい。
明確な像が結ぶまで、朝な夕な、晴れた日雨の日、通っては迷い、迷っては通いの中、あらゆる可能性を探りながらスケッチを繰り返す。そして次第に一つの方向性が見えてくる。
西方浄土(さいほうじょうど)にこじつけて自身を納得させ、西に開いたプランを練り始める。さらに角度の振り方には随分迷ったが、過去の扇形や多角形の家の経験が後押しした。(方角に対する挑戦は、年齢を重ねる毎に保守化していってるであろう自分に対する挑戦でもある。)
西方浄土(さいほうじょうど)仏〕: この世の西方、十万億の仏土を隔てたところに存在する、阿弥陀仏の浄土。極楽浄土。西方安楽国。西方極楽。西方十万億土。西方世界。西方。
西方意識をもって眺める夕日は、感慨もまた一入(ひとしお)である。ちなみに4月と8月が最もきれいだそうである。(玄関から中庭・デッキテラスを通して・・・。)
2010 年4月7日(水)
便利さと不便さ
形あるモノは壊(こわ)れる。昔は手仕事で修理できたし、それが当たり前であったが、最近その当たり前が無くなった。それに関(かか)わる職業も確実に減りつつある。便利さを求めてのハイテク化のさらなる進化。あらゆるモノが取替え買い替えの時代ではあるが・・・。
下の写真は数年前に完成した住宅である。新しいと言えば新しいが、さて、大工3人掛かりで何してる?
大型のトップライトから直に2階の通路と階段を照らす光、吹き抜けを通して1階のリビングまで落ちる光、側面の丸窓を通して子供室のロフトに、さらにトーメイの天井をワンクッション置いて浴室や北側の部屋に差し込む光など、色々試みてみたが、ブラインドやファン、通風など、光による熱のコントロール無しでは、真夏は当然暑い。
かたや常に光に満たされ、いながらにして自然(流れる雲や、風や雨や星や月や・・)を感じられる空間。視線が空に抜ける開放感。それに電気代も助かるが、それらの代償としてのリスクも当然ある。はじめに書いたように、形あるモノはいずれ壊れるのだから。
その光のコントロール装置である電動ブラインドが故障した。経年劣化でこれからも時々壊れるだろう。そうメーカーは所在なげに言う。僕も、いや僕でなくとも誰でもそう思うだろう。雨晒(ざら)しでは困るが年中日晒しの場所である。
その度(たんび)に足場を組んでたんじゃ足場代がもったいない。” 固定足場として化粧梁(けしょうばり)を一本足しましょう。足場代2回分かかりません。な~に、すぐに元はとれます!・・・? ”。 かくして、そのような仕儀(しぎ)と相なった次第であります。
2010 年3月31日(水)
プリッカー賞
SANAAの妹島和世(せじまかずよ)氏と西沢立衛(にしざわりゅうえ)氏のユニットが建築界のノーベル賞とも言われるアメリカのプリッカー賞を受けた事を新聞で知った。思わず”意外と早かったな”と感じたが、沈滞した建築界にとっては元気の出る話で素直に嬉しい。
と言っても二人を知ってる訳ではない。わずかではあるが、以前属していたJIA(日本建築家協会)の全国大会(千葉・幕張)で、新人の頃の妹島さんの司会姿を見て、トッポイと言うかフワーとした独特の存在感に、かつてない、全く新しいタイプの才能を感じたのが、強く印象に残っている。

妹島和世読本ー1998 A.D.A EDITA Tokyo
その後、一度だけ講演も聴いたが、似たような印象で、内容は正直言って、はっきり覚えてない。たしか作品の紹介だけだったような気もするが、淡々として、とにかく押付けがましくないのである。同様な事は彼女の表現方法(単純化した気の抜ける様な図面)や作品にも感じる。といっても実際に見たのは初期の頃の熊本と原宿・表参道のみであるが。

再春館製薬女子寮(熊本):女子寮なので外観しか見ることができなかったが、
わずかに公道から左側のスクリーンを透して内部が覗(うかが)える
ようするに、かなり無理しているにもかかわらず、押しつけがましくないというか、軽やかで、何となく危なっかしいのである。また、形もそっけなくて無頓着で淡白、それでいて、発想は独特でユニーク、たぶん彼女もそういう人なのかな?”ユニークかつ不思議”また、初期のイメージの純粋さを貫き通す”意思の人”。これが彼女に抱く僕の印象である。

内観:リビングスペース
このアングルが公道からフィルターがかかった状態で覗える。昼間で入居前だったにしても、女子寮だけに気が引けた記憶がある。その後、目隠しが付いたかどうかは知らない。
日本人のプリッカー賞受賞者としては、丹下健三、槇文彦、安藤忠男についで四人目だそうだが、磯崎新が受賞してないのが意外である。MOMA(ニューヨーク近代美術館)をやった谷口吉生がいても不思議ではない。
さらに言えば、師匠の伊東豊男やそのまた師匠の都城市民会館の菊竹請訓、僕も若い頃大きく影響を受けた「住宅は芸術である」と喝破した篠原一男などとっくに受賞していてもおかしくないと思うがプリッカー賞がどういうものであるか詳しく知らないので、単なる個人的な感想に終わる。
2010 年3月27日(土)
イベント参加
宮崎市内で行われた二つの住宅のイベントに参加してきた。一つは、施工会社と建築家をつないで、家を建てる予定の人に紹介するという独自のシステムを構築し、運営している東京の会社が、全国各地域で定期的に開催しているイベントである。
九州各県から参加した数名の建築家(登録会員)が、それぞれ割り当てられたブースで、パネル化された住宅作品を展示し、これから家を建てる予定の人(会員制)に披露するというお見合いのコーナーである。
初めての事で、ここに詳しく述べる余裕も知識もないが、直に説明を受けパンフをもらったので、これから検討することになる。察するに、個性を重んじる作家タイプの建築家は、ある程度の妥協も強いられそうだ。
因(ちな)みに重んじ過ぎるタイプをこの会社では「あばれる」というらしい。つまりは、成約率が悪くて商売にならないということだ。「臨機応変に対応してますよ。」と晴れない顔で言うのは、中でも結構個性的な若い知人建築家の言葉。プロ意識の強い建築家が常にかかえているジレンマである。
建築産業が受注生産で、かつ各専門分野が寄って集(たか)って作るものである以上、常に幾多の妥協を強いられ、互いの会話と協調のもとに成立することは言うまでもないが・・・。

さて、もう一つは、知人の建築家のオープンハウスである。先日の僕のオープンハウスにブラリと現れた時に誘われていたので顔を出してみた。彼も独自のスタイルを確立し、それを貫いている。嫌味のないサラリとした作風は、おそらく彼の人柄そのものであろう。
道中のついでに県立美術館に立ち寄ったら、偶然開催中のコレクション展(無料)でミロやピカソやキリコ等の巨匠作品に触れることができた。行ってみるものでアリマス。
2010 年3月26日(金)
神柱公園の夜桜
帰省中の又木啓子さん(スペイン在住の抽象画家:鹿児島ホワイトギャラリーにて個展開催中。3月末まで。)に誘われ、神柱公園の夜桜見物に行ってきた。冷え込んだ割りには予想外の参加者で40名はいただろうか。
遠くはスペインのクエンカからのカップルや長崎在住のアーチスト(ステンドグラス作家)、国分市から歩いて来たというアーチストのH氏、そのH氏と同行の世界中を渡り歩いているという川崎市出身の河童のパフォーマー。
ソウルで出会ったというこの二人。H氏こと萩原さんには、以前「やねだん」で又木さんと共にお世話になった。彼は都城市民会館の保存運動にも駆けつけてくれたし、鹿児島の石橋保存での武勇伝も伝え聞いていてすこしは知っている。
世間一般の社会通念からすれば変人に属するこの二人だが、自分を貫き通す自由な生き方は羨ましい限りである。その他フラメンコギターリストの女性や地元からも多数参加していたが、もちろん花なんか見てる人はいるわけが無い。
2010 年3月25日(木)
設計の終わりとは?
完成見学会も無事終わり、昨夜は、「スヌーピーと住む家」での打ち上げ。初めて夜の雰囲気を楽しんだ。あいにくの雨模様、中庭でという訳にはいかなかったが、二つのコートと、それを通してのスヌーピーを眺めながらのリビングの雰囲気は独特のもので、僕にとってもこれまでに無い新たな空間体験であった。
酒にかこつける訳ではないが、と言うか、例えかこつけてでも設計時点のイメージとのギャップの検証は自らの身をもってしておくべきだ ! というのが僕の強固な信念?であり持論である。
ということで、まだ、天気の日の夜の中庭での検証が待っている。その後も、今がまさにそうであるが、花見の時期での検証、ビールがうまい暑い夏での検証、熱燗で乗り切る厳冬での検証など、季節ごとの検証。さらに一年後の点検へと続く。果たして設計の終わりとは何時(いつ)をもって言うのであろうか?・・・ヤレヤレ・・・?
2010 年3月24日(水)
オープンハウス終了
前記のイベント(完成見学会)も盛況のうちに無事終了し、昨日今日と、安堵感と疲労感ない交ぜの中、いささか集中力を欠いている。聞くと「不思議と疲れるんですよ。」と皆言う。それにしても予想外の入りであった。天気にも恵まれた。
人の行動には何かしら一定のリズムがあるらしい。来る時には不思議と集中する。「そうなんですよ。これが不思議なんですよね~。」 経験豊富な工務店の若い彼は心得ている。
来場者の反応は多様であるが、建築自体の表現を抑える事によって、オーナーのコレクションである主役のスヌーピーを際立たせるという試みは予想以上の効果であった。
また、コスト面ではごく標準的な家にもかかわらず、コートの持つ空間効果の絶大さには、改めて実感させられた事を報告しておきたい。
最後にオーナーさんの厚意のみならず、全工程終日に渡る積極的な協力には恐れ入った。感謝するのみである。 また、遠方から来て頂いたにもかかわらず、お相手できなかった方には、申し訳がたたないし心残りである。次の機会に期したい。次回は都城市一万城町で4月17日(土)~19日(月)の予定。
2010 年3月19日(金)
オープンハウス開催
明日3月20日(土)から22日(月)までの3日間、「スヌーピーと住む家」の完成見学会を行います。予約制等の制限は特に設けておりませんので、お気軽にお立ち寄り下さい。昨年5月の「 翼の家 」以来2回目の見学会となります。既に「ニュース、プロフィール」欄で案内の通りですが、タイトルが商標登録の関係でチラシ広告(朝日、毎日、読売:3月20日)は「 ペットと暮らす家 1 」へと変更になっていますのでご了解下さい。
また、中岡も3日間、会場に詰めておりますので住宅相談等も受け付けます。遠慮なく声をかけて下さい。建築だけは実際に建っている現場に行って全身で体感してみないとわかりません。( 建築家は若い時分から修行の一貫として国内外を問わずそれを繰返しています。)せっかくのお施主さんのご厚意にあなたも甘えてみませんか。
2010 年3月7日(日)
家のはなし・・・(1)軒の出など
下の写真は、現在工事中のものも含め、戸建の専用住宅であるが、いずれも軒の出が深いのが特徴である。軒の効用として外壁の保護 ( 雨や日射による経年劣化等メンテナンスの問題 )や日差しの調整(夏冬の太陽高度の違いによる日射角)、その他季節風の招きいれなど考えられるが、外観の表情の豊かさ(オブジェとしての彫りの深さによる陰影効果)が周辺環境に及ぼす影響に対しても色彩計画と共に大切な要素である。
家全体の形の問題として、出入り口はやむを得ないとしても、造形効果やメンテナンスを考慮すると、軒以外の庇や出窓などの細々(こまごま)とした突起物や付属物は、できるだけ避けてシンプルでありたい。また、使用する素材にしても、法的規制やコストなど、様々な理由からありふれた工業製品を多用せざるを得ない場合が圧倒的に多い。(だから流通しているのであるが。)
だからと言って、そこら中に蔓延している木目やタイル模様のニセモノで済ますという訳にはいかない。ホンモノが使えないから”せめてそれに似たモノで”というその短絡的発想の貧しさがいけない。ローコストと貧しさとは別物であるし、今はやりの ”カワイイ~ ”も理解できないではないがどうかなと思う。家は人を表す。ローコストでエレガントなものこそ目指すところである。
かような訳で、人工の市販モノは意味性の薄いものを選択する。色の選択も同様である。ようするにそれに徹するのである。一見モダンな様相を呈してはいても、軒の出など長い間受け継がれてきた日本家屋の持つ機能的要素だけは外せないのであります。
ペットと暮らす家: 西側を流れる川越しに見た外観。 低くて深い軒が
これから取り付く予定のウッドデッキを雨から守ると同時に、夏の西日を遮り
川面を渡る涼風を招き入れるだろう。 軒の出 西側 2700、南北 1000
同上:ペット(猫)の顔をデフォルメしたファサード。斜壁に依り庇を省略した
シンプルなデザイン。(斜壁が軒の役目を果たす。) 奥行きW600 斜壁の出1000

スヌーピーと住む家: 軒の出1,500 ダブルルーフ下部斜壁開口部の奥行き350

スヌーピーと住む家 南側軒の出 2,300 軒鼻は45度の角度でシャープ感を出し、且つ笠木で水が切れるので汚れない。また、軒天の結露対策はスリット換気孔(全周)、隠し樋は断熱材で対応している。

彫刻家のギャラリー付の住まいで、右の黒い部分のギャラリー棟に覆いかぶさる様に軒が跳ね出している。構造は木造の在来工法で壁からの出3、400、途中を丸パイプの鋼管柱で受けている。

亀甲型の家: 軒の出900だが2階建てなので短く感じる。本当はもう少しほしいところだが建蔽率 (敷地面積に対する建築面積の割合・・1メートル以上は建築面積に含まれる)や敷地条件(隣地境界からの距離)の制約を受けた結果である。
むくり屋根の家: 2階建ての寄せ棟屋根で、軒の出が1500 ある。 塗り壁(シラス外ん壁)の特性を生かし、R型で外壁から軒天まで塗り回して一体化し、破風板も省略して軒下空間をスッキリ見せている。
2010 年3月3日(水)
住まいと庭
10年程前に手掛けた数寄屋造りの住宅である。現在進行中の「 スヌーピーと住む家 」に程近い所にあり久しぶりに立ち寄ってみた。以前、和風庭園の作庭工事を依頼していた庭師の家で、設計当時から「 庭木で中岡さんの設計した家を見えなくしますよ。 」などと誇っていたが、実際その通りになっていて外部から容易に中の様子を伺い知ることはできない。
10年も経つと家と庭もすっかり馴染んで落ち着いた雰囲気を醸し出しており、しばし小京都的な異空間を楽しんで来た。やっぱりそれぐらいの時間はかかるんだろうな~。住人はというと、当時から大変な大酒呑みで手を焼いたもんだが、久しぶりに会ったら大好きなその酒をピタッと止めたと言う。
家と庭の関係と違って、人と酒の方はうまく馴染むという具合にはいかなかったらしい。うわばみの例にもれずドクターストップである。ご愁傷様、と言いたいところだが、煙草だけは相変わらず昔ながらのピースをうまそうに吹かしていた。さてこちらの方はどうだろう・・・と、ここまで書いたところでそろそろ山になった灰皿を取り替えるとするか。
2010 年2月25日(木)
吾輩は猫である
吾輩は猫である。名前は気にいらないが一応ある。ナイルという名前でどうやら吾輩の顔の模様がエジプトという貧弱な連想をさせたらしい。どこで生まれたかはとんと見当がつかぬ。なんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。
吾輩はここではじめて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは建築家という人間中でいちばん怠惰で我ままな種族であったそうだ。この建築家というのは時々我々をつかまえて好き勝手にもてあそぶという話である。
しかしその当時はなんという考えもなかったからべつだんいやらしいとも気持ち悪いとも思わなかった。ただ彼の手のひらに載せられてスーと持ち上げられた時なんだかフワフワした感じがあったばかりである。手のひらの上で少し落ち付いて建築家の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始めであろう。
この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後猫にもだいぶ会ったがこんな片輪には一度も出くわしたことがない。
のみならず顔のまん中があまりに突起している。そうしてその穴の中から四六時中ぷうぷうと煙を吹く。どうもむせぽくてじつに弱っている。これが人間の飲む煙草というものであることをようやくこのごろ知った。
ところでこの片輪がちかごろ吾輩によく愚痴るようになったのには閉口している。なんでも煙草飲みが減って肩身の狭い思いをしていながら止める気などさらさらないと言う。おまけにひどい酒飲みで酔っ払うとあらん限りの悪態をつきながら全く記憶にないとのたまうのである。どうやら吾輩の下僕はとびっきりの片輪のようだ。

吾輩はナイルである

吾輩は坊っちゃんである
2010 年2月18日(木)
新世代の建築家達
40年も建築に携わっていると、家の作りようも昔と随分変わったなあという感は否めない。
そのことは昔の本を引っ張り出して昨今と比較してみると一目瞭然である。同じような事は、特に家に限らず、ありとあらゆるモノがそうである。時代は移り変わるのだから当然といえばこれほど当然なこともない。何を今さらではある。
若い世代の建築家やクリエーターが、建築や住まいをどのように考え、それがどんなかたちで表現されているかを知ることは興味深い。建築は最終的には目に見えるかたちとして表現されざるを得ない。下に取り上げた雑誌はそのほんの一例である。
自分の頭で考えたつもりのモノが、実は似たようなモノが既に存在していた、なんて事が無いように、国内外を問わず常にその動向は把握しているべきで、逆に刺激を受けたりする事も多いから侮れない。僕の場合それが自分を客観的にとらえる姿勢と同時に若さ(気持ちの)を保つ秘訣でもあると考えている。
このような軽いモノもたまには手に取ってみる。当然、掘り下げは浅いが動向の概要はつかめる。
この種の傾向として、取り上げてある事例が重複しているのが難点。最先端の気鋭に偏していて 一般的ではないが、建築家という人種の生態を知るには手頃である。
2010 年2月17日(水)
都城市民劇場
昔の仲間に誘われて「都城市民劇場」というお芝居を鑑賞するサークルに入らされた。入らされたとあえて書く。不景気の折、出費を考えるとやむを得ずの感もあるが、実は以前、舞台美術に興味があり、数年所属していて大体の内容は知ってはいたが、当日に時間が取れなかったりして無駄な出費が多く途中やめてしまった。現在は場所も都城市民会館から都城市総合文化ホールへ、名称も「べいすん」から「都城市民劇場」へと変わってしまった。
昔の仲間とは、20年以上前に所属していて、途中、会そのものが空中分解した「異業種交流プラザ」のことで昔のよしみというやつだ。異業種交流プラザといっても知らない人が大半だろうがそのことは端折って、その後参加していた本好き仲間が集う「ふるさと緑陰講座」も20年目を期に昨年解散したので、入会もまあいいかって感じ・・・。
お芝居(演劇)の会は、3人以上のサークルで参加しましょう・・・なんてパンフに書いてあるので興味のある方は是非ご一報を!!。俳優さんとの交流会など楽しみもありますよ。有名どこでは仲代達哉さん、栗原小巻さん、奈良岡朋子さんなどの超ベテラン組、といっても今日では知らない人が大半かな?(ちなみに会費:入会金2000円、月額2000円、2ヶ月毎で年6回、前納制:月末の週に翌月分納入だって!)
2010 年1 月22日(木)
上棟
「ペット(猫)と暮らす家」の骨格が立ち上がった。大工の後を追うように板金工が屋根下地のタイトフレームを取り付けていく。不安定な天候ゆえ、屋根仕舞いを急ぐ。屋根材は長尺のため、深夜便で運送、明日早朝現場到着予定。到着次第屋根工事に入る。建具(アルミサッシ)の最終確認も本日行い、発注の段取りを終える。同時に外壁材も検討。木造建築は特に天候に拠る影響が大きいので、立ち上がってからの外回りの工事は、雨から身を守ると言う意味で早いほど良い。
2010 年1 月7日(木)
年頭雑感
今年は年男、それも五黄の寅という事で運気が強いそうであるから良い事は信じる事にする。
元気が出そうな事はこの際何でも頂いて、この荒波を乗り切るしかない。
「五黄の寅」とは・・・「五黄」は九星のひとつで、これは九紫・八白・七赤・六白・五黄・四緑・三碧二黒・一白と毎年順に付けられているもの。九星とは古代中国の民間信仰が起源だそうで何種類かあるがややこしくて読む気が失せる。
五黄の年と寅の年が重なるのは、次の年。大正3年・昭和25年(小生はこの年に誕生したらしいが、残念ながら全く記憶に無い。凡人には俄かに信じ難いはなしだが、、産道を通過する時の光景を記憶していると言ってたらしい天才作家三島由紀夫とはえらい違いである。)・昭和61年。基本的には9と12の最小公倍数で、36年に1度やって来るとか。
そんな事はどうでもよいが還暦の60歳で区切りもよいではないか。年頭だからといって意を新たにした事など、これまでただの一度もない。大体、いつ果てるともしれない生なのに新たな決意など端から無意味だと思っている。それを言うなら日々であろうが、できない相談というもので、ただ漫然と馬齢を重ねているに過ぎない。忘れにくい数字だから都合がよいというだけのことだ。雑感とした所以である。というような訳で、ここまで書いて言うのもなんだがこんなものは読まない方がよい。
(年頭早々気分を害した人・・・まじm(>o< )m)
2009年12月24 日(木)
地鎮祭(じちんさい・とこ しずめ の まつり)
心配していた早朝からの小雨も止んで、「キティちゃんと暮らす家」の地鎮祭が無事終了。
その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る。これには神式と仏式があるが今回は神式で執り行なった。一般には、神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもある。鎮地祭、土祭り、地祭り、地祝いとも言う。
一般には、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄(しめなわ)で囲って祭場となし、斎主たる神職のもと、建築業者・施主の参列の上で執り行う。祭場の中には木の台(八脚台という)を並べ、その中央に神籬”ひもろぎ、大榊に御幣・木綿(ゆう)を付けた物で、これに神を呼ぶ”を立てて祭壇となし、酒・水・米・塩・野菜・魚等の供え物を供える。

酒・水・米・塩・野菜・魚等が供えられた祭壇

献杯終了後、神主さんを交えて、しばし歓談。この後、ご近所へ挨拶回り。
2009年12月23日(水)
官民境界
今年5月に完成した「翼の家」の外柵である。塀無しが理想で、しばらく様子をみたが、やはり不都合が生じた。近所の悪ガキ共の恰好のあそび場と化していたらしい。私有地ゆえ、ケガでもされたら!ということで、やむを得ずの対策が下の写真である。
出来合いのフェンスやブロック塀は避けたい。ローコストで、道行く人の目にもやさしい、あいまいな区切りができた。前以って作製したパーツを運んでセットに2時間弱。打ち込むだけだから、後でいかようにもなるのがミソ。高さ調整も自由自在で100%手作り。官民境界は、例え一小住宅とは言え、そのデザインが町並みに大きく影響する。そういう意味で依頼主と共に設計者の公共意識が問われるところである。
敷地内から見る。ずらす事によって曖昧性を強調する。・・・低い植栽が少し欲しい。
2009年12月18日(金)
立原道造
先月、ふるさと緑陰文化講座(最終回)の最後の講師としてお招きした作家・出久根達郎氏の著書「いつのまにやら本の虫」で「詩人・立原道造」に触れられている部分に出合った。建築界の人間としては「建築家・立原道造」の方がなじみが深い。
「「建築家・立原道造」」の著者益子昇氏とは、都城の知人を通じて、これまで2回ほどお会いしている。益子氏もまた、詩人にして建築家であり、現場施工から町並み保存活動までこなす実践派でもある。
数年前になる。突然の訪問にもかかわらず、焼酎を介して語り明かせたのも、氏の人柄は当然の事ながら、知人のお陰であり、また、同年代にして同業のよしみもあったであろう。2回目は大分・臼杵で行われた「全国町並みゼミ」に参加した時で、偶然の再会であった。久しぶりに思い出したので、少しだけ触れておきたい。
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●草稿「鉛筆・ネクタイ・窓」から 立原道造 [一九三八年秋頃執筆]
僕は、窓がひとつ欲しい。
あまり大きくてはいけない。そして外に鎧戸、内にレースのカーテンを持つてゐなくてはいけない、ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない。
窓台は大きい方がいいだらう。窓台の上には花などを飾る、花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。
そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。湖水のほとりにはポプラがある。お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐる。
湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし青の強い色だ、そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、その雲ははつきりした輪廓がいくらか空の青に溶けこんでゐる。
僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に座つてうつらうつらと睡つてゐる。タぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。
僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。……

立原道造の残した図面に基づいて建てられたヒアシンスハウス・風信子荘
どことなく近代建築の父ル・コルビジュエの終の棲家「カップマルタンの小屋」を思い出させる
立原は、この5坪ほどの住宅を《ヒアシンスハウス・風信子荘》と呼び、50通りもの試案を
重ね、庭に掲げる旗のデザインを深沢紅子画伯に依頼した。さらに住所を印刷した名刺を作り、
親しい友人に配っていた。しかし立原が夭折(24才8ヶ月)したため、別所沼畔に紡いだ夢は実現しなかった。
ちなみに立原は、建築家・丹下健三の一学年上であり,東大在学中(現)に辰野賞を3回受賞するなど、建築家としての才能を惜しむ声は今だに後を絶たない。
2009年12月12 日(日)
著者謹呈
ふるさと緑蔭文化講座の今年の講師、出久根達朗先生から本が贈られてきた(写真右)。左が昨年の講師津村節子先生からのものでどちらも送迎のお礼である。好きでやってるのに有難いことである。心して読みたい。
送迎の車中での会話が記憶に新しい。作家を目指して世に出るまでの逸話や、読書の効用について等々。このような体験が著者との、或いは本との距離をぐっと縮めてくれる。
読書の効用については様々な意見があるが、正直なところどれも歯切れが悪いというのが僕の印象である。曰く、知的刺戟によって表情に深みが出る、思考が柔軟になる、思考力がつく、態度に落ち着きが出る、知識が拡がる事によって発想力が増す・・・など等。
反対に弊害もあろう。理屈っぽくなる、議論好き(お喋り)になる、目が悪くなる、運動不足になる、無駄金を使う、タバコが増える?・・等々。こちらは全て自分のことで、つまりはバカになる。金と時間を使ってバカになるのだから世話はないのだが、困った事に当の本人に自覚がない。
ましてや近頃は読んだ端(はな)から忘れていくから効用どころじゃない。読んでる意味そのものを問いたくなる。それでも一日読まないでいると何かが満ち足りない。ニコチン中毒に加えて活字中毒と言いたいところだが、どっこい上には上があり、桁違いの読書家がごまんといるから世の中侮れないというか面白い。
2009年12月5日(土)
設計図:手描きとCAD
設計システムにCADが導入されて四半世紀は経つだろうか?記憶が定かでないが現在ではすっかり主流である。アナログ人間を自認している僕でさえ、ここでこのようモノでこのような駄文を書き連ねているご時勢である。
写真上が8年前の小住宅の青焼き図面、下2葉が現在設計協力中のモノクロコピーで用途は寺院。どちらも手描きである。寺院であるから手描きは当然で記入寸法は尺単位。尺単位では現代人にはすぐにはピンとこないから括弧つきでいちいちメートル法が添えてある。
設計は(財)京都伝統建築技術協会 伝統建築研究所。伝統建築、特に茶室建築の日本の第一人者である。施工も当然ながらと言おうか京都からで、大工さんも泊り掛けで携わる。
さてCADであるが、効率優先のみのシステムに頑迷に抵抗するも、遠隔地との図面のやり取りなど、コミニュケーションツールとしての必然性からあえなく潰(つい)え、導入したのが約3年前からだが、いまだにしっくり来ず、導入したとは言えない程の中途半端さである。
数年前、著名な住宅建築家吉田桂二氏に手描きとCADについて氏の意見を拝聴した事がある。「描きたい奴は描きゃあ~良いんじゃないの。俺は手の方が数段早いからネ」。いかにも氏らしい歌舞いた口調で迷いのかけらもない。
東京美術学校(現東京芸大)出身で、絵もうまいが、製図の方もそれはそれはうまくて早いらしい。絵のうまさについては、以前、宿泊した民宿(愛媛県内子町)が偶然にも氏の設計で、現場で一気に描いたという襖絵をオーナーの説明つきで実見している。製図の方は氏が初めて手掛けられたと言う茶室(栃木県古河市)の見学会に参加した折に見せて頂いた。
余談であるが、東京美術学校同期の平山郁夫画伯の逸話も出たがここの主題から外れるので省く。
(つい先日その死が報じられたばかりなのでメモに留めるが、いずれシルクロードがらみで触れるつもりでいる。)
話を戻そう。効率主義は現場も同様で、寺社仏閣は別格としても普通の住宅の現場など、職人さんの道具も機械化され、使用する素材まで出来合いの工業製品が横行しているのが現状で本物指向には程遠い。
ここまで書いてて、ふと思った。こんな事書いただけでもアナログならぬアナクロ(アナクロニズム:時代錯誤)扱いされるかも。いや、もう既にされてるかも・・・。

青焼き : 小住宅矩形図

モノクロコピー : 寺院矩形図

モノクロコピー : パース(完成予想図)
CAD(キャド、英: Computer Aided Design)は、コンピュータ支援設計とも呼ばれ、コンピュータを用いて設計をすること。あるいはコンピュータによる設計支援ツールのこと(CADシステム)。人の手によって行われていた設計(Design)作業をコンピュータ(Computer)によって支援(aid)し、効率を高めるという目的からきた言葉である。
CADを「コンピュータを用いた製図システム」と解する場合は Computer Assisted Drafting, Computer Assisted Drawing を指し、同義として扱われることもある。(Wikipediaより)
2009年12月3 日(木)
自然の恵み
所用で訪れたついでに撮ったもので、実は微風の中ハラハラ舞い落ちる黄葉の下で、ここの飼い猫が戯れていた。それを狙ったのだが、頭だけ撫でさせといて突然走り去ってしまい、せっかくのチャンスを逃がしてしまったがそれでも自然の恵みは有難い。
報恩講の季節である。昨年は近所の摂護寺での荘厳の飾り餅作りの様子を写真入りで伝えている(徒然記参照)。その摂護寺から明日の期日指定で”おとき券”が届いていた。忘れていなかったら行ってみよう。僕の宗教心とは今のところその程度のもので、大樹も含め古いものがある空間が好きなのである。
おときとは?(お齋=法事や法要のあとの食事会のことを言います)
仏教の場合、法事・法要の際に、僧侶による読経のあと食事がふるまわれます。この食事をおとき(御斎・お斎とも書く)と呼びます。僧侶や参列者へのお礼の気持ちをこめたお膳であると同時に、一同で故人を偲ぶための行事です。 (Wikipediaより)
>2009年12月2 日(水)
講習会
下の写真は、つい先日行われた建築関連の講習会の資料である。時間にして約3時間余りだが半日つぶすことになる。義務のもあればそうでないのもある。義務づけられたものは大抵が有料である。例え義務でなくとも参加しなければ資料が手に入らず、概要がつかめないからやむなく参加することになる。
構造計算書偽装問題への対応として、昨年11月の「改正建築士法」の施行以来、このような講習会が頻繁に行われる。今月も都城宮崎とあと2回程参加予定で既に予約申込み済みである。
若いスタッフでもいれば、「勉強して来い!」とか、「あ、そう?大変ね。」とか他人事で済まして好きな設計だけに専念するところであるが、このようなご時勢、そういう訳にもいかず全て自分でやるしかない訳で・・・。
察して頂けたでしょうか?・・・そう・・苦手なんです。学ぶ事は大好きなんですが他人に言われてというのがどうもねえ~。元来が自由を標榜する身としては、どうも世の中の約束事とか決まり事とかが人一倍。これって齢を重ねる毎にひどくなっていきます。ようするに幼児化していくんですね。
その点、黒川紀章氏(建築家。亡くなる直前に東京都知事選に立候補するも落選。その派手なパフォーマンスが話題になった。)は偉かった。耐震偽装発覚直後、全ての現建築士の再受験の法制化(さすがにこの話はつぶれたが。)の時、著名にして、且つ齢70を過ぎた高齢の身にもかかわらず、「それでも俺は受ける」と言ったそうな。
>2009年11 月 22 日(日)
第20回ふるさと緑蔭文化講座-2
昨日の出久根達郎先生の送迎に引き続き、今日も緑蔭講座に一日を費やす。20
年間続いてきたその全てが今日で終わると思うと、こちらも名残惜しいのである。
大河内昭璽ファンには結構女性が多い。「大河内先生は私の人生の全てです。」というのは、都城に限らず、全国に渡って行われる先生の殆んどの講座に欠かさず、それも端っこで、なるべく先生の目に留まらない様に参加しているという、東京からの追っかけ組みの一人、E子さんの言葉である。今日で最後という想いが言わせた言葉であろうか?「ていの良いストーカーですね。」とチャチをいれながら、しばらく彼女の想い出話に耳を傾ける。車中での事である。
同じ想いのファンの一人、R子さんに乞(こ)われて、築100年は経ってるという伊佐市(旧大口市他)郊外の彼女の実家に立ち寄り、R子さん手作りの昼食をあり難く頂くも築100年に反応し、すかさず検分するのは建築家としての本能みたいなもの、とでも言っておこうか。
高齢で寒がりの大河内先生の体調を気遣いながらも、冷雨の中、予定されていた明治の遺構である西洋風デザインの発電所見学を強行する。例年ならば湖の底で見れない筈が、今年は水不足で目にできるというこのチャンスを逃がしてなるものか!
役得は他にもある。先の築100年で隠遁生活のR子さんの案内で、伊佐出身の二枚目俳優兼画家、榎木孝明氏(武蔵野美大出身)のカフェギャラリーで、氏にまつわるエピソードと共に、氏の淡彩スケッチをたっぷり堪能できたことは、趣味を同じくする同行者一同、満足できるものであったに違いない。 (追記:バガボンドの作者井上雄彦氏が大口市(現伊佐市)出身である事も、今日ここで知った。)

いつもは湖底に沈んでる筈の明治期の遺構発電所:何となくミニチュアっぽい。
榎木孝明さんのカフェギャラリーで。桐野利秋をモデルにした、榎木さん企画の映画「半次郎」の撮影シーンの写真パネルや井上雄彦作「バガボンド」の武蔵の絵もある。
>2009年11 月 21 日(土 )
第20回ふるさと緑蔭文化講座-1
当地出身で文芸評論家(前武蔵野女子大学学長)大河内昭璽先生のご縁を頼り、各界著名人(作家、宗教家、俳優、詩人、映画監督、TVアナウンサー等)のゲストを迎え、無報酬で御講演を賜るという趣旨のふるさと緑陰文化講座が、20年の長きをもって、ついに昨夜最終回を迎え無事終了した。
初回からスタッフの一員としてお手伝いさせて頂いたが、よくも20年間も継続できたものだというのが一同の実感である。この間の聴講者は延べ6000人を数える。
昨年の津村節子先生に引き続き、今日も出久根達郎先生を鹿児島空港までお送りしてきたが、道中の雑談こそが、2次会や3次会での歯にきぬ着せぬ文学談議同様、僕にとっての楽しみのひとつでもであり、又、学ぶべき事も数知れないのである。
地方にありながら、このような機会を得られたのも、大河内先生あればこそで感謝の念に絶えない。またこの20年の間には、日本を代表する建築家 原広司東大教授(京都駅の設計者)設計の武蔵野女子大グリーンホールを学長自ら御案内頂いたり、時には三鷹の御自宅にお邪魔するなど、個人的にも数々の想い出がよみがえる。
そういえば上京の折、退官されてからも定期的に同大学で行われている文芸講座に、いきなり参加して先生を驚かせた事もあった。それもこれもいよいよ明日の送迎をもって、最後のお別れを迎えるのがいかにも名残惜しいが、この20年間の蓄積を何らかの形で次世代に継承していくのが、我々スタッフ一同の責務であろう。

記念撮影 若いスタッフと。前列右より出久根先生、大河内先生、願心寺住職

二次会は飲兵衛の中岡が担当。とにかく好きなんすねえ~みんな,酒と文学(本)が。
>2009年11 月 18日(水 )
昨夜は恒例の模合(もあい)で久しぶりに盛り上がりました。入退会自由な、わりとゆるやかな会です。写真の主は僕のかつてのクライアントで、都城中町で製麺業を営んでいるよかにせのMさんです。僕とは親子ほどの年齢差ですが、建築中から妙にウマが合って現在に至っているという次第。
もう一人はこのMさんの実戦空手”養秀会”の弟弟子(ギター共に)で兄弟子が一声掛ければ、隣町の小林市からすっ飛んできます。この世界の縦関係の厳しさと、目上の人に対する礼節は、はっきりしすぎる程はっきりしていて清清しささえ感じます。
現在は2人とも現役を引いて後輩や子供たちの指導に専念しています。音楽(ギター)も余技の域を超えて、各種催事や慰問等もこなしていますが、昨夜は我々仲間のために熱唱してくれました。その様子の一部を紹介しておきます。
お二人さん!! カッコイイ~!
来年は鎌倉での結婚式に出演予定とか。うらやましい!鎌倉は何回でも訪れたい所。
乗りまくっている姿にみんな感動!!弟子はその間、当然正座で待機です
実戦空手「養秀会」の宗家 山元勝王氏の著書「空手とロマンの人生」
ちなみに山元氏は都城市庄内町出身です。
模合(もあい) (ウイキぺディアより一部引用)
模合(もあい)とは、沖縄県や鹿児島県奄美諸島において、複数の個人や法人がグループを組織して一定額の金銭を払い込み、定期的に1人ずつ順番に金銭の給付を受け取る金融の一形態である。本土における頼母子講・無尽講に相当する相互扶助システムである。
飲み会の資金拠出のためといった小規模なものから、事業の運転資金調達といった大規模なものまで様々なものがある。模合の起源は琉球王国の尚敬王の時代まで遡ることができる。
>2009年11 月 17 日(火 )
地盤調査
小雨の中、「キティちゃんと暮らす家」の地盤調査に立ち会ってきました。
調査員のKさんも僕と同業でありながらサイドビジネスでこのような仕事もこなしています。長年の付き合いでお互い周知の仲ですので安心して依頼できます。
結果は敷地が川辺りで多少心配していましたが、杞憂に終わり、まずは一安心。状況次第では予算に大きく影響するので、とりあえず、調査だけ急いだ訳です。詳細な報告書は後日送ってくる予定です。
お昼は恒例の同窓昼食会に出席。不動産業を営んでいるいるS君と土地売買の雑談の中で地盤調査の話に触れたところ、最近のトラブル発生の原因に地盤の件が増えつつあるという事でした。今回の法改正により、新たに住宅瑕疵担保履行法が施行にされ、新築の場合、地盤調査が義務づけられた事を考えると、土地売買契約の時点で地盤の件について一筆明記してておくべき事を提案しておきました。
スウェーデンサウンディング式による地質調査。最後の5ヶ所目(建物中央地点)調査中。
>2009年11 月 14 日(土 )
再生
最近、30年前に作った家が蘇えっているのに気づきました。現在は住み手が変わっていますが、元々は高校時代の同級生のために設計したもの。施工した監督も同じ建築科の同級生で愛着もひとしお。近くを通りかかるたびにその痛ましい外観が気になっていましたが、何はともあれ嬉しい限りです。お色直しも30年振りで、おそらく偶然でしょうが、新築当初に近い色でホントよかった。 (〃^¬^〃)
それにしてもとんがってますね~。この頃の作品に攻撃的な形が多いのは、たぶん社会にも自分にも不満タラタラだったんでしょう。社会に対しての批評性を含んでない建物を建築とは呼びませんから。まあそこらへんは今でも大して変わってないつもりです。
イタリアでは年とって丸くなる事を、小さなとんがりが沢山増えて遠目に丸く見える事だと聞いたことがあります。角がとれて丸くなるという日本とは逆ですね。とんがったまま死にたいもんです。・・・写真を見て”今よりうまいじゃん!”なんて思わないで下さいネ。若い時にしかできない事(形)ってあるんですから。
>2009年11 月 7日(土 )
現場主義
設計の時点で散々迷い、考え、決定した筈なんですが、改めて現場に立つと、また、迷い始めます。結局、設計に終わりは来ないんですが、それでも僕にとって最も安心できる場所が現場です。そこでは職人さんが着実に仕事を進めていきます。実際に腕を振るっている彼らとの会話の中で最終的に決定する事が多いのも事実です。また、現場での設計変更は僕にとっては、極々、当たり前の事です。良いと思ったら躊躇無く変更します。ルーティン化された役所の仕事ではとても考えられない事ですが、そういう事には常に貪欲でありたいと思います。今日はお施主さんも交えての打ち合わせでした。やっぱり、モノつくりはプロセスが面白い。そして現場こそが全てです。
>2009年11 月5日(木)
住宅瑕疵担保履行法
住宅瑕疵担保履行法による現場検査(構造・金物)に立ち会ってきました。例の姉歯問題に起因する、性悪説を前提とした今回の法改正は、何とも納得のいくものではない事を実感。建築主を保護するという大義名分が、逆に負担になっていると言わざるをえない・・・などと書いてもただの愚痴でしかないんですが。いずれにしても全てが国交省任せで、業界自体が声を上げない、メディアもちゃんと取り上げないというより分かってない、というか関心そのものがない。この責任は結局はこれまでの付けがわが身に帰ってきていると考える他ないんでしょうか・・・ああ、役人天国ニッポンそして建築文化後進国ニッポン。
2009年11 月2 日(月)上棟式
昨日はスヌーピーと住む家(F邸)の上棟式でした。朝から降り続いていた雨も、午後からは上がり、無事執り行なう事ができて一安心。設計者としては、イメージとリアリティとの落差の違いを確認できる瞬間でもあります。設計者の醍醐味とでも言いましょうか、不安と期待ない交ぜ、一種独特の緊張感と高揚感は何度味わってもいいもんです。それにしても、どこが少子化なの?というぐらい多くの子供達が集まってくれました。○ ○ ○ と祭りは派手な方が良い!
西南より北東を見る
せんぐまき(モチ撒き)・・・ ハイ、 もう終わりですよ~。
ガレージまで一挙に葺き降ろした長い長~い片流れ屋根です。実際に屋根に上ってみて
その長さを改めて実感。住宅の片流れ屋根としては日本で一番長いかも?
2009年10 月27 日(火)
ふるさと緑陰講座
ふるさと緑陰講座の第2回目のスタッフ会議に参加。ポスター、チラシが出来上がってきました。概要もほぼまとまり、後は詳細を残すのみとなりました。ニュース欄をご覧下さい。
2009年10 月25日(日)
南九州アートライン展 (都城市立美術館)
図書館に行ったついでに美術館の南九州アートライン展(ニュース欄参照)に立ち寄ったら、テラスからコーヒーの香りが漂ってくる。思わず顔を向けるとアートストリートの面々。皆、旧知の仲。久しぶりで懐かしい。
鑑賞前にそのまましばらく歓談。Aさんは相変わらずの行動派で次の企画のPR。Nさんは以前私がその住宅を設計したI医院勤務から美術館へ逆戻りとか。
メンバーのみんながアートとしての建築にも関心が深く、市民会館保存問題で一緒に活動した仲間でもあり、また、私の仕事にも興味を示してくれるのがうれしい。何れにしても、趣味が近いと距離も近いことを再認識しました。彼らには理屈抜きで癒されます。
娘がお世話になった美大進学塾「アートゼミ」主宰の多田真理さんに娘の近況報告。塾のほうは、最近美大志望の学生さんが減少し、11月から大丸で絵手紙程度の絵を大人にも教えるという。デッサンからきちんと学びたい向きには従来からのブルーリボン2階にて。こちらは2月からの予定でさっそく希望してきました。
南九州アートライン展は幸運にも原田学芸員のギャラリートーク付き。監視員の中には版画家黒木周夫人の姿も。アートライン展は霧島アートの森からの借入れ作品が多い。以前のS氏コレクション展以来の縁だそうです。今朝は、天気が良かったら、気分転換に霧島アートの森へひとっ走りなどと考えていたので、この偶然も実に不思議な感じ。幸運に感謝。
ギャラリートークショー 作家の著作権の関係で館内写真のHP掲載は禁じられたが、この程度の写真なら問題なかろうと勝手に判断しました。原田さん、ゴメンナサイ。
カフェテラス:コーヒー1杯100円です。2杯目はアートライン展の入場券(大人500円、小人300円)に無料券が付いてます。その他にも霧島アートの森無料入場応募券など様々な特典がついています。この機会をお見逃し無く!
2009年10 月22日(木)
酒と煙草のニュアンス
酒と煙草・・・不思議な、人生のニュアンスだ。人間生活に必要ないといえば、必要ない。むしろ害の方が問題になる悪役だが、しかし人間の離れがたい友である。
苦しいこと、よろこび、淋しさ、生きる日々にはいろいろ波がある。その折々にいつも酒がともにあり、われわれとともに嘆き、憂い、喜んでくれる。酒の伴奏がなくては、人生まことに味気ない。
また煙草は生活の呼吸であり、一服の味わいは言いようのない安らぎである。・・・・・
以上は岡本太郎が酒、煙草、そして食べ物について語っていることのごく一部の引用です。酒が人生の伴奏で、煙草が生活の呼吸だなんて・・・それにニュアンスってのがまたいいですね~。酒と煙草をこよなく愛する者としては泣けてくるほど嬉しい~!!v(。^□^。)v
2009年10 月17日(土)
ゴルフ
5年間絶っていたゴルフの誘いに応じてFカントリーへ。封印を解いた理由はメンバー構成が気にいった事とカート無しだった事、酒びたり運動不足不摂生不養生で落ちた体力の確認が目的。案の定、当然といえば当然ですが、スコア体力共に散々でした。途中、腰は痛めるわ足は攣(つ)るわで、それでもみんなが私の参加を想像以上に喜んでくれたのは救いでした。
5年間もゴルフを絶っていた主な理由は冷え込む一方の経済的世情と、姉歯事件に起因する場当たり的な建築基準法改悪により、建築表現という方法の可能性と魅力が急速に失われ、新たな命題を模索せざるを得ない必要に迫られた事などです。その方法としてゴルフやうまいものを食べるという形而下的な快感から意識的にメタレベルの快感へとシフトする事によって”建築”の意味を問い直し、新たな可能性とモチベーションを獲得できないかと考え現在に至るも未だ道半ばです。
2009年10 月15 日(木)
ふるさと緑陰講座
ふるさと緑陰講座の第2回スタッフ会議に参加。前回の役割分担の進行確認等報告会。今日はルンビ二保育園の保母さんと清涼幼稚園の役員さんも参加。総勢18名。講題が決定しました。詳しくはニュース欄をご覧ください。
散会後、一人静かに飲んでる所へ、来なくてもいいと言ったのに旧知のK氏がF代議士ほか7名を引き連れて押しかけてきました。予想どおり酒が入っての政治談議は空理空論の薀蓄(うんちく)合戦。自分だけが気持いいのは酔っ払いの常であります。何でも経済同友会の帰りとか。仕方がないからしばらく付き合って一足先に退散しましたが酒ぐらい一人で飲め!と言いたい。もっとも後でお店のママさんには感謝されましたが。
2009年10 月8 日(木)
秋
こういう風景を見ると心が安らぎます。自然に勝るものはない!
家つくりも”心してデザインしなければ”。つくづくそう思います。
2009年10 月6 日(火)
緑陰文化講座
月日の経つのは早いもので、今年も緑陰文化講座の季節が来ました。昨夜はその第一回目のスタッフ会議が喫茶ダビンチであり、概要が決まりましたので案内しておきます。なお、 出久根達郎先生は1昨年に続き2回目になります。
講演 出久根達郎 先生 演題 未定
大河内昭爾先生
日時 : 11月20日(金) 講演 6時~8 時30分
20回記念パーティー(さようなら謝恩会) : 中山荘9時 ~10時30分
場所 : ホテル 中 山 荘
20年の長きに渡って続いてきた講座でしたが、大河内昭爾先生の体調の関係で、今回をもって終了致します。友人、知人等お誘いあわせの上、是非ご参加ください。
2009年10 月1 日(木)
たまにはこんなのも。我事務所は2階にあり、丁度目の高さで満開です。
2009年9 月28 日(月)
今日の大安吉日を待っての「スヌーピーと住む家」の工事契約を済ませた後、お施主さんに事前に用意して頂いた粗品を持って、施主、施工者と一緒にご近所の挨拶廻りをしてきました。工事中の騒音等の迷惑や、完成後の近所付合いをヨロシクという意味も含めての挨拶なんですが、2軒の方に粗品の受け取りを頑強に拒否され、三者三様それぞれ複雑な思いで帰ってきました。
ほんの気持ちなんですがねえ~。なんと言ったらいいか、まあ、しょうがないんですかねえ~・・・・。おかげで僕と施工者がもらうはめになってしまいました。
2009年9 月23 日(水)
現代の名工 永江明夫 遺作展
昨年末に94歳の天寿を全うされた現代の名工 永江明夫さん の遺作展が9月25日より10月4日まで都城市鷹尾町のNAギャラリーで開催されます。今日はその展示のお手伝いに行ってきました。思い返せば、かねてより念願の ”都城にも文化施設を” と相談を受けたのが14年前、当時、民間の、しかも全く自力でのこのような施設は全国でも稀有な事でした。
永江さんは旧福井高等学校(現国立福井大学前身)建築科卒業、清水建設就職、シベリアから復員後、東郷織物工場を運営、次々と新しい仕事に着手、研究開発を経て色大島を完成。「銀座で木綿の着物を」をモットーに今日の現代「薩摩絣」の礎を築かれました。
氏の独特の色彩感覚と感性は絵画や書、陶芸の分野にも見て取れます。死後その書や絵画が多数発見され、今回遺作展の運びとなりました。その一部をここに紹介します。
>2009年9 月21日(月)
メメント・モリ(Memento mori)
彼岸が近いからでしょう、TVで映画 「おくりびと」 をやっていました。片や偶然 NHKで白州次郎をやっていたので 「おくりびと」 をあきらめNHKに切り替えました。偶然と言うぐらいだからそれ程TVを見る方ではありません。見るのはニュースと新日曜美術館ぐらいでしょうか。
ま、それはいいとして白州次郎を最後まで見ました。白州次郎は以前から好きで、関連する本の何冊かは読んでいたせいでしょう、本を映像化するとこうなるのかといった感じで終りました。
その後、新しい住宅のスケッチに入る前に、美術手帳 「創造する脳 どうしてヒトは絵を描くのか」 を拾い読み。中沢新一(多摩美大教授・芸術人類学研究所所長)の寄稿が中々おもしろかったのでネットでもうちょっと詳しく思い、開いたら 「おくりびと」 と メメント・モリ(Memento mori) に行き着きました。
タモリと本木雅弘(おくりびと主演・俳優)と中沢新一の対談及び講演録です。
メメント・モリ(Memento mori) という本も半年ほど前に偶然図書館で手にしました。「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」 ヒンズー教徒の聖地 インドのベナレスで犬に食われてる死体の写真についている言葉です。残念ながらベナレスから帰ってきてからこの本を知りました。
本木雅弘は27歳の時この本に衝撃を受け、ベナレスを目指し、映画化までに15年を要しています。風が吹けば桶屋式になってしまいましたが主題はヒトの「生と死」です。住宅にかかわりが深く、且つ重いテーマを前にスケッチが止まってしまいました。
( 以下Wikipediaより一部抜粋 )
メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳されることが普通。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。
「メメント・モリ」の思想がもっとも顕著に現れたのは、葬儀のための芸術及び建築物である。おそらく、現代人にとって最も衝撃的なのは、腐敗した死体を表現した墓であろう。

メメント・モリ 死を想え 藤原新也
2008/11/5 三五館 172ページ 1890円(税込)
( 藤原新也著作リストより)
生と死を謳う現代の聖典。
一瞬で情報の入れ替わるこの空しい時代を、25年間の長きにわたって読みつがれてきたロングセラー。 いま、絶望の時代を生き抜くべく、新たな言葉と写真の牙を研ぎ澄まし、新登場。
日替わりで情報が消えていくこの時代に25年の長きにわたって読み継がれている本書は稀有の書だと想う。その25年にいろいろなことがおこった。
最愛の肉親の死を受け止められない人が本書を読み、気持ちの落ち着き所を見つけられたという例は多い。重荷を背負った自分から解放されたという人もたくさんおられた。悩みあればことあるごとに本書を開くという人。あるいは本書を片手に・・・・
>2009年9 月20 日(日)
テスト
この本もH・Pで日頃お世話になっているMさんから頂いたものです。このブログのコーナーの書き込みの(パソコンの)調子が悪くて今、新たなページでテスト中です。只今のところ、写真、書き込み共いくらか良くなりました。今までは手間と時間ばかり喰ってイライラして書く気が失せてしまいそうでした。Mさんはパソコン本体に問題ありと言ってますが、頼むから”うまくいってくれ”と祈るばかりです。
>2009年9 月19 日(土)
空手
山元勝王 空手とロマンの人生 みき書房
実践空手 養秀会会長 山元勝王(本名 守:都城市庄内町出身)氏の一代記です。
先日、7年前に作った併用住宅M邸の施主であるMさんが、頼みもしないのに持って来てくれました。その彼も建築中は現役でしたが現在では都城支部で指導者的立場にあります。養秀会は国内はもとより海外各地に多数の支部があります。知らない人も多いかと思いますので紹介しておきます。
ちなみに私にとって庄内も空手も縁が深くゲンがいいのです。庄内町は緑陰文化講座のお手伝い等で、(巨樹や石垣が多く残っており、地形も良くて大変好きな町です。)また、空手はわずか2年程でしたが、高校時代に学び、5年間学んだ剣道と共にその後の現場でかなり役にたちました。高度成長期時代の建築現場は職人同士の喧嘩が絶えず、その仲裁も現場監督の仕事でした。今とは隔世の感があります。今の現場は空手にたとえれば、さしずめ、寸止めの空手といったところでしょうか。
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