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2010 年3月7日(日)
軒の出
下の写真は、現在工事中の住宅であるが、いずれも軒の出が深いのが特徴である。東側の斜壁の部分も1メートル出ていて軒の効用を果たす。 軒の効用として外壁の保護 ( 雨や日射による経年劣化等メンテナンスの問題 )や日差しの調整(夏冬の太陽高度の違いによる日射角)、その他季節風の招きいれなど考えられるが、外観の表情の豊かさ(オブジェとしての彫りの深さによる陰影効果)が周辺環境に及ぼす影響に対しても色彩計画と共に大切な要素である。
出入り口等の庇はやむを得ないとしても造形効果やメンテナンスを考慮すると、できるだけ細々(こまごま)とした付属物は避けてシンプルでありたい。また、法的規制(思考停止的)やコストなど様々な理由からありふれた工業製品を多用せざるを得ない場合が圧倒的に多い。(だから流通しているのである。)
だからと言って、そこら中に蔓延している木目やタイル模様のニセモノで済ますという訳にはいかない。ホンモノが使えないから”せめてそれに似たモノで”というその短絡的発想の貧しさがいけない。ローコストと精神の貧しさとは別物であるし、今はやりの ”カワイイ~ ”も理解できないではないがどうかなと思う。家は人を表す。ローコストでエレガントなものこそ目指すところである。
かような訳で、人工の市販モノは意味性の薄いものを選択する。色の選択も同様である。ようするにそれに徹するのである。一見モダンな様相を呈してはいても、軒の出など長い間受け継がれてきた日本家屋の持つ機能的要素だけは外せないのであります。

ペットと暮らす家: 西側を流れる川越しに見た外観。 低くて深い軒が
これから取り付く予定のウッドデッキを雨から守ると同時に、夏の西日を遮り
川面を渡る涼風を招き入れるだろう。 軒の出 西側 2700、南北 1000
同上:ペット(猫)の顔をデフォルメしたファサード。斜壁に依り庇を省略した
シンプルなデザイン。 奥行きW600 斜壁の出1000

スヌーピーと住む家: 軒の出1,500 ダブルルーフ下部斜壁開口部の奥行き350

スヌーピーと住む家 南側軒の出 2,300 軒鼻は45度の角度でシャープ感を出し、且つ笠木で水が切れるので汚れない。また、軒天の結露対策はスリット換気孔(全周)、隠し樋は断熱材で対応している。

彫刻家のギャラリー付の住まいで、右の黒い部分のギャラリー棟に覆いかぶさる様に軒が跳ね出している。構造は木造の在来工法で壁からの出3、400で、途中を丸パイプの鋼管柱で受けている。

亀甲型の家: 軒の出900だが2階建てなので短く感じる。本当はもう少しほしいところだが建蔽率 (敷地面積に対する建築面積の割合・・1メートル以上は建築面積に含まれる)や敷地条件(隣地境界からの距離)の制約を受けた結果である。
2010 年3月3日(水)
住まいと庭
10年程前に手掛けた数寄屋造りの住宅である。現在進行中の「 スヌーピーと住む家 」に程近い所にあり久しぶりに立ち寄ってみた。以前、和風庭園の作庭工事を依頼していた庭師の家で、設計当時から「 庭木で中岡さんの設計した家を見えなくしますよ。 」などと誇っていたが、実際その通りになっていて外部から容易に中の様子を伺い知ることはできない。
10年も経つと家と庭もすっかり馴染んで落ち着いた雰囲気を醸し出しており、しばし小京都的な異空間を楽しんで来た。やっぱりそれぐらいの時間はかかるんだろうな~。住人はというと、当時から大変な大酒呑みで手を焼いたもんだが、久しぶりに会ったら大好きなその酒をピタッと止めたと言う。
家と庭の関係と違って、人と酒の方はうまく馴染むという具合にはいかなかったらしい。うわばみの例にもれずドクターストップである。ご愁傷様、と言いたいところだが、煙草だけは相変わらず昔ながらのピースをうまそうに吹かしていた。さてこちらの方はどうだろう・・・と、ここまで書いたところでそろそろ山になった灰皿を取り替えるとするか。
2010 年2月25日(木)
吾輩は猫である
吾輩は猫である。名前は気にいらないが一応ある。ナイルという名前でどうやら吾輩の顔の模様がエジプトという貧弱な連想をさせたらしい。どこで生まれたかはとんと見当がつかぬ。なんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。
吾輩はここではじめて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは建築家という人間中でいちばん怠惰で我ままな種族であったそうだ。この建築家というのは時々我々をつかまえて好き勝手にもてあそぶという話である。
しかしその当時はなんという考えもなかったからべつだんいやらしいとも気持ち悪いとも思わなかった。ただ彼の手のひらに載せられてスーと持ち上げられた時なんだかフワフワした感じがあったばかりである。手のひらの上で少し落ち付いて建築家の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始めであろう。
この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後猫にもだいぶ会ったがこんな片輪には一度も出くわしたことがない。
のみならず顔のまん中があまりに突起している。そうしてその穴の中から四六時中ぷうぷうと煙を吹く。どうもむせぽくてじつに弱っている。これが人間の飲む煙草というものであることをようやくこのごろ知った。
ところでこの片輪がちかごろ吾輩によく愚痴るようになったのには閉口している。なんでも煙草飲みが減って肩身の狭い思いをしていながら止める気などさらさらないと言う。おまけにひどい酒飲みで酔っ払うとあらん限りの悪態をつきながら全く記憶にないとのたまうのである。どうやら吾輩の下僕はとびっきりの片輪のようだ。

吾輩はナイルである

吾輩は坊っちゃんである
2010 年2月18日(木)
家のかたち
40年も建築に携わっていると、家の作りようも昔と随分変わったなあという感は否めない。
そのことは昔の本を引っ張り出して昨今と比較してみると一目瞭然である。同じような事は、特に家に限らず、ありとあらゆるモノがそうである。時代は移り変わるのだから当然といえばこれほど当然なこともない。何を今さらではある。
若い世代の建築家やクリエーターが、建築や住まいをどのように考え、それがどんなかたちで表現されているかを知ることは興味深い。建築は最終的には目に見えるかたちとして表現されざるを得ない。下に取り上げた雑誌はそのほんの一例である。
自分の頭で考えたつもりのモノが、実は似たようなモノが既に存在していた、なんて事が無いように、国内外を問わず常にその動向は把握しているべきで、逆に刺激を受けたりする事も多いから侮れない。僕の場合それが自分を客観的にとらえる姿勢と同時に若さ(気持ちの)を保つ秘訣でもあると考えている。
このような軽いモノもたまには手に取ってみる。当然、掘り下げは浅いが動向の概要はつかめる。
この種の傾向として、取り上げてある事例が重複しているのが難点。最先端の気鋭に偏していて 一般的ではないが、建築家という人種の生態を知るには手頃である。
2010 年2月17日(水)
都城市民劇場
昔の仲間に誘われて「都城市民劇場」というお芝居を鑑賞するサークルに入らされた。入らされたとあえて書く。不景気の折、出費を考えるとやむを得ずの感もあるが、実は以前、舞台美術に興味があり、数年所属していて大体の内容は知ってはいたが、当日に時間が取れなかったりして無駄な出費が多く途中やめてしまった。現在は場所も都城市民会館から都城市総合文化ホールへ、名称も「べいすん」から「都城市民劇場」へと変わってしまった。
昔の仲間とは、20年以上前に所属していて、途中、会そのものが空中分解した「異業種交流プラザ」のことで昔のよしみというやつだ。異業種交流プラザといっても知らない人が大半だろうがそのことは端折って、その後参加していた本好き仲間が集う「ふるさと緑陰講座」も20年目を期に昨年解散したので、入会もまあいいかって感じ・・・。
お芝居(演劇)の会は、3人以上のサークルで参加しましょう・・・なんてパンフに書いてあるので興味のある方は是非ご一報を!!。俳優さんとの交流会など楽しみもありますよ。有名どこでは仲代達哉さん、栗原小巻さん、奈良岡朋子さんなどの超ベテラン組、といっても今日では知らない人が大半かな?(ちなみに会費:入会金2000円、月額2000円、2ヶ月毎で年6回、前納制:月末の週に翌月分納入だって!)
2010 年1 月22日(木)
上棟
「ペット(猫)と暮らす家」の骨格が立ち上がった。大工の後を追うように板金工が屋根下地のタイトフレームを取り付けていく。不安定な天候ゆえ、屋根仕舞いを急ぐ。屋根材は長尺のため、深夜便で運送、明日早朝現場到着予定。到着次第屋根工事に入る。建具(アルミサッシ)の最終確認も本日行い、発注の段取りを終える。同時に外壁材も検討。木造建築は特に天候に拠る影響が大きいので、立ち上がってからの外回りの工事は、雨から身を守ると言う意味で早いほど良い。
2010 年1 月7日(木)
年頭雑感
今年は年男、それも五黄の寅という事で運気が強いそうであるから良い事は信じる事にする。
元気が出そうな事はこの際何でも頂いて、この荒波を乗り切るしかない。
「五黄の寅」とは・・・「五黄」は九星のひとつで、これは九紫・八白・七赤・六白・五黄・四緑・三碧二黒・一白と毎年順に付けられているもの。九星とは古代中国の民間信仰が起源だそうで何種類かあるがややこしくて読む気が失せる。
五黄の年と寅の年が重なるのは、次の年。大正3年・昭和25年(小生はこの年に誕生したらしいが、残念ながら全く記憶に無い。凡人には俄かに信じ難いはなしだが、、産道を通過する時の光景を記憶していると言ってたらしい天才作家三島由紀夫とはえらい違いである。)・昭和61年。基本的には9と12の最小公倍数で、36年に1度やって来るとか。
そんな事はどうでもよいが還暦の60歳で区切りもよいではないか。年頭だからといって意を新たにした事など、これまでただの一度もない。大体、いつ果てるともしれない生なのに新たな決意など端から無意味だと思っている。それを言うなら日々であろうが、できない相談というもので、ただ漫然と馬齢を重ねているに過ぎない。忘れにくい数字だから都合がよいというだけのことだ。雑感とした所以である。というような訳で、ここまで書いて言うのもなんだがこんなものは読まない方がよい。
(年頭早々気分を害した人・・・まじm(>o< )m)
2009年12月24 日(木)
地鎮祭(じちんさい・とこ しずめ の まつり)
心配していた早朝からの小雨も止んで、「キティちゃんと暮らす家」の地鎮祭が無事終了。
その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る。これには神式と仏式があるが今回は神式で執り行なった。一般には、神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもある。鎮地祭、土祭り、地祭り、地祝いとも言う。
一般には、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄(しめなわ)で囲って祭場となし、斎主たる神職のもと、建築業者・施主の参列の上で執り行う。祭場の中には木の台(八脚台という)を並べ、その中央に神籬”ひもろぎ、大榊に御幣・木綿(ゆう)を付けた物で、これに神を呼ぶ”を立てて祭壇となし、酒・水・米・塩・野菜・魚等の供え物を供える。

酒・水・米・塩・野菜・魚等が供えられた祭壇

献杯終了後、神主さんを交えて、しばし歓談。この後、ご近所へ挨拶回り。
2009年12月23日(水)
官民境界
今年5月に完成した「翼の家」の外柵である。塀無しが理想で、しばらく様子をみたが、やはり不都合が生じた。近所の悪ガキ共の恰好のあそび場と化していたらしい。私有地ゆえ、ケガでもされたら!ということで、やむを得ずの対策が下の写真である。
出来合いのフェンスやブロック塀は避けたい。ローコストで、道行く人の目にもやさしい、あいまいな区切りができた。前以って作製したパーツを運んでセットに2時間弱。打ち込むだけだから、後でいかようにもなるのがミソ。高さ調整も自由自在で100%手作り。官民境界は、例え一小住宅とは言え、そのデザインが町並みに大きく影響する。そういう意味で依頼主と共に設計者の公共意識が問われるところである。
敷地内から見る。ずらす事によって曖昧性を強調する。・・・低い植栽が少し欲しい。
2009年12月18日(金)
立原道造
先月、ふるさと緑陰文化講座(最終回)の最後の講師としてお招きした作家・出久根達郎氏の著書「いつのまにやら本の虫」で「詩人・立原道造」に触れられている部分に出合った。建築界の人間としては「建築家・立原道造」の方がなじみが深い。
「「建築家・立原道造」」の著者益子昇氏とは、都城の知人を通じて、これまで2回ほどお会いしている。益子氏もまた、詩人にして建築家であり、現場施工から町並み保存活動までこなす実践派でもある。
数年前になる。突然の訪問にもかかわらず、焼酎を介して語り明かせたのも、氏の人柄は当然の事ながら、知人のお陰であり、また、同年代にして同業のよしみもあったであろう。2回目は大分・臼杵で行われた「全国町並みゼミ」に参加した時で、偶然の再会であった。久しぶりに思い出したので、少しだけ触れておきたい。
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●草稿「鉛筆・ネクタイ・窓」から 立原道造 [一九三八年秋頃執筆]
僕は、窓がひとつ欲しい。
あまり大きくてはいけない。そして外に鎧戸、内にレースのカーテンを持つてゐなくてはいけない、ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない。
窓台は大きい方がいいだらう。窓台の上には花などを飾る、花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。
そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。湖水のほとりにはポプラがある。お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐる。
湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし青の強い色だ、そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、その雲ははつきりした輪廓がいくらか空の青に溶けこんでゐる。
僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に座つてうつらうつらと睡つてゐる。タぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。
僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。……

立原道造の残した図面に基づいて建てられたヒアシンスハウス・風信子荘
どことなく近代建築の父ル・コルビジュエの終の棲家「カップマルタンの小屋」を思い出させる
立原は、この5坪ほどの住宅を《ヒアシンスハウス・風信子荘》と呼び、50通りもの試案を
重ね、庭に掲げる旗のデザインを深沢紅子画伯に依頼した。さらに住所を印刷した名刺を作り、
親しい友人に配っていた。しかし立原が夭折(24才8ヶ月)したため、別所沼畔に紡いだ夢は実現しなかった。
ちなみに立原は、建築家・丹下健三の一学年上であり,東大在学中(現)に辰野賞を3回受賞するなど、建築家としての才能を惜しむ声は今だに後を絶たない。
2009年12月12 日(日)
著者謹呈
ふるさと緑蔭文化講座の今年の講師、出久根達朗先生から本が贈られてきた(写真右)。左が昨年の講師津村節子先生からのものでどちらも送迎のお礼である。好きでやってるのに有難いことである。心して読みたい。
送迎の車中での会話が記憶に新しい。作家を目指して世に出るまでの逸話や、読書の効用について等々。このような体験が著者との、或いは本との距離をぐっと縮めてくれる。
読書の効用については様々な意見があるが、正直なところどれも歯切れが悪いというのが僕の印象である。曰く、知的刺戟によって表情に深みが出る、思考が柔軟になる、思考力がつく、態度に落ち着きが出る、知識が拡がる事によって発想力が増す・・・など等。
反対に弊害もあろう。理屈っぽくなる、議論好き(お喋り)になる、目が悪くなる、運動不足になる、無駄金を使う、タバコが増える?・・等々。こちらは全て自分のことで、つまりはバカになる。金と時間を使ってバカになるのだから世話はないのだが、困った事に当の本人に自覚がない。
ましてや近頃は読んだ端(はな)から忘れていくから効用どころじゃない。読んでる意味そのものを問いたくなる。それでも一日読まないでいると何かが満ち足りない。ニコチン中毒に加えて活字中毒と言いたいところだが、どっこい上には上があり、桁違いの読書家がごまんといるから世の中侮れないというか面白い。
2009年12月5日(土)
設計図:手描きとCAD
設計システムにCADが導入されて四半世紀は経つだろうか?記憶が定かでないが現在ではすっかり主流である。アナログ人間を自認している僕でさえ、ここでこのようモノでこのような駄文を書き連ねているご時勢である。
写真上が8年前の小住宅の青焼き図面、下2葉が現在設計協力中のモノクロコピーで用途は寺院。どちらも手描きである。寺院であるから手描きは当然で記入寸法は尺単位。尺単位では現代人にはすぐにはピンとこないから括弧つきでいちいちメートル法が添えてある。
設計は(財)京都伝統建築技術協会 伝統建築研究所。伝統建築、特に茶室建築の日本の第一人者である。施工も当然ながらと言おうか京都からで、大工さんも泊り掛けで携わる。
さてCADであるが、効率優先のみのシステムに頑迷に抵抗するも、遠隔地との図面のやり取りなど、コミニュケーションツールとしての必然性からあえなく潰(つい)え、導入したのが約3年前からだが、いまだにしっくり来ず、導入したとは言えない程の中途半端さである。
数年前、著名な住宅建築家吉田桂二氏に手描きとCADについて氏の意見を拝聴した事がある。「描きたい奴は描きゃあ~良いんじゃないの。俺は手の方が数段早いからネ」。いかにも氏らしい歌舞いた口調で迷いのかけらもない。
東京美術学校(現東京芸大)出身で、絵もうまいが、製図の方もそれはそれはうまくて早いらしい。絵のうまさについては、以前、宿泊した民宿(愛媛県内子町)が偶然にも氏の設計で、現場で一気に描いたという襖絵をオーナーの説明つきで実見している。製図の方は氏が初めて手掛けられたと言う茶室(栃木県古河市)の見学会に参加した折に見せて頂いた。
余談であるが、東京美術学校同期の平山郁夫画伯の逸話も出たがここの主題から外れるので省く。
(つい先日その死が報じられたばかりなのでメモに留めるが、いずれシルクロードがらみで触れるつもりでいる。)
話を戻そう。効率主義は現場も同様で、寺社仏閣は別格としても普通の住宅の現場など、職人さんの道具も機械化され、使用する素材まで出来合いの工業製品が横行しているのが現状で本物指向には程遠い。
ここまで書いてて、ふと思った。こんな事書いただけでもアナログならぬアナクロ(アナクロニズム:時代錯誤)扱いされるかも。いや、もう既にされてるかも・・・。

青焼き : 小住宅矩形図

モノクロコピー : 寺院矩形図

モノクロコピー : パース(完成予想図)
CAD(キャド、英: Computer Aided Design)は、コンピュータ支援設計とも呼ばれ、コンピュータを用いて設計をすること。あるいはコンピュータによる設計支援ツールのこと(CADシステム)。人の手によって行われていた設計(Design)作業をコンピュータ(Computer)によって支援(aid)し、効率を高めるという目的からきた言葉である。
CADを「コンピュータを用いた製図システム」と解する場合は Computer Assisted Drafting, Computer Assisted Drawing を指し、同義として扱われることもある。(Wikipediaより)
2009年12月3 日(木)
自然の恵み
所用で訪れたついでに撮ったもので、実は微風の中ハラハラ舞い落ちる黄葉の下で、ここの飼い猫が戯れていた。それを狙ったのだが、頭だけ撫でさせといて突然走り去ってしまい、せっかくのチャンスを逃がしてしまったがそれでも自然の恵みは有難い。
報恩講の季節である。昨年は近所の摂護寺での荘厳の飾り餅作りの様子を写真入りで伝えている(徒然記参照)。その摂護寺から明日の期日指定で”おとき券”が届いていた。忘れていなかったら行ってみよう。僕の宗教心とは今のところその程度のもので、大樹も含め古いものがある空間が好きなのである。
おときとは?(お齋=法事や法要のあとの食事会のことを言います)
仏教の場合、法事・法要の際に、僧侶による読経のあと食事がふるまわれます。この食事をおとき(御斎・お斎とも書く)と呼びます。僧侶や参列者へのお礼の気持ちをこめたお膳であると同時に、一同で故人を偲ぶための行事です。 (Wikipediaより)
>2009年12月2 日(水)
講習会
下の写真は、つい先日行われた建築関連の講習会の資料である。時間にして約3時間余りだが半日つぶすことになる。義務のもあればそうでないのもある。義務づけられたものは大抵が有料である。例え義務でなくとも参加しなければ資料が手に入らず、概要がつかめないからやむなく参加することになる。
構造計算書偽装問題への対応として、昨年11月の「改正建築士法」の施行以来、このような講習会が頻繁に行われる。今月も都城宮崎とあと2回程参加予定で既に予約申込み済みである。
若いスタッフでもいれば、「勉強して来い!」とか、「あ、そう?大変ね。」とか他人事で済まして好きな設計だけに専念するところであるが、このようなご時勢、そういう訳にもいかず全て自分でやるしかない訳で・・・。
察して頂けたでしょうか?・・・そう・・苦手なんです。学ぶ事は大好きなんですが他人に言われてというのがどうもねえ~。元来が自由を標榜する身としては、どうも世の中の約束事とか決まり事とかが人一倍。これって齢を重ねる毎にひどくなっていきます。ようするに幼児化していくんですね。
その点、黒川紀章氏(建築家。亡くなる直前に東京都知事選に立候補するも落選。その派手なパフォーマンスが話題になった。)は偉かった。耐震偽装発覚直後、全ての現建築士の再受験の法制化(さすがにこの話はつぶれたが。)の時、著名にして、且つ齢70を過ぎた高齢の身にもかかわらず、「それでも俺は受ける」と言ったそうな。
>2009年11 月 22 日(日)
第20回ふるさと緑蔭文化講座-2
昨日の出久根達郎先生の送迎に引き続き、今日も緑蔭講座に一日を費やす。20
年間続いてきたその全てが今日で終わると思うと、こちらも名残惜しいのである。
大河内昭璽ファンには結構女性が多い。「大河内先生は私の人生の全てです。」というのは、都城に限らず、全国に渡って行われる先生の殆んどの講座に欠かさず、それも端っこで、なるべく先生の目に留まらない様に参加しているという、東京からの追っかけ組みの一人、E子さんの言葉である。今日で最後という想いが言わせた言葉であろうか?「ていの良いストーカーですね。」とチャチをいれながら、しばらく彼女の想い出話に耳を傾ける。車中での事である。
同じ想いのファンの一人、R子さんに乞(こ)われて、築100年は経ってるという伊佐市(旧大口市他)郊外の彼女の実家に立ち寄り、R子さん手作りの昼食をあり難く頂くも築100年に反応し、すかさず検分するのは建築家としての本能みたいなもの、とでも言っておこうか。
高齢で寒がりの大河内先生の体調を気遣いながらも、冷雨の中、予定されていた明治の遺構である西洋風デザインの発電所見学を強行する。例年ならば湖の底で見れない筈が、今年は水不足で目にできるというこのチャンスを逃がしてなるものか!
役得は他にもある。先の築100年で隠遁生活のR子さんの案内で、伊佐出身の二枚目俳優兼画家、榎木孝明氏(武蔵野美大出身)のカフェギャラリーで、氏にまつわるエピソードと共に、氏の淡彩スケッチをたっぷり堪能できたことは、趣味を同じくする同行者一同、満足できるものであったに違いない。 (追記:バガボンドの作者井上雄彦氏が大口市(現伊佐市)出身である事も、今日ここで知った。)

いつもは湖底に沈んでる筈の明治期の遺構発電所:何となくミニチュアっぽい。
榎木孝明さんのカフェギャラリーで。桐野利秋をモデルにした、榎木さん企画の映画「半次郎」の撮影シーンの写真パネルや井上雄彦作「バガボンド」の武蔵の絵もある。
>2009年11 月 21 日(土 )
第20回ふるさと緑蔭文化講座-1
当地出身で文芸評論家(前武蔵野女子大学学長)大河内昭璽先生のご縁を頼り、各界著名人(作家、宗教家、俳優、詩人、映画監督、TVアナウンサー等)のゲストを迎え、無報酬で御講演を賜るという趣旨のふるさと緑陰文化講座が、20年の長きをもって、ついに昨夜最終回を迎え無事終了した。
初回からスタッフの一員としてお手伝いさせて頂いたが、よくも20年間も継続できたものだというのが一同の実感である。この間の聴講者は延べ6000人を数える。
昨年の津村節子先生に引き続き、今日も出久根達郎先生を鹿児島空港までお送りしてきたが、道中の雑談こそが、2次会や3次会での歯にきぬ着せぬ文学談議同様、僕にとっての楽しみのひとつでもであり、又、学ぶべき事も数知れないのである。
地方にありながら、このような機会を得られたのも、大河内先生あればこそで感謝の念に絶えない。またこの20年の間には、日本を代表する建築家 原広司東大教授(京都駅の設計者)設計の武蔵野女子大グリーンホールを学長自ら御案内頂いたり、時には三鷹の御自宅にお邪魔するなど、個人的にも数々の想い出がよみがえる。
そういえば上京の折、退官されてからも定期的に同大学で行われている文芸講座に、いきなり参加して先生を驚かせた事もあった。それもこれもいよいよ明日の送迎をもって、最後のお別れを迎えるのがいかにも名残惜しいが、この20年間の蓄積を何らかの形で次世代に継承していくのが、我々スタッフ一同の責務であろう。

記念撮影 若いスタッフと。前列右より出久根先生、大河内先生、願心寺住職

二次会は飲兵衛の中岡が担当。とにかく好きなんすねえ~みんな,酒と文学(本)が。
>2009年11 月 18日(水 )
昨夜は恒例の模合(もあい)で久しぶりに盛り上がりました。入退会自由な、わりとゆるやかな会です。写真の主は僕のかつてのクライアントで、都城中町で製麺業を営んでいるよかにせのMさんです。僕とは親子ほどの年齢差ですが、建築中から妙にウマが合って現在に至っているという次第。
もう一人はこのMさんの実戦空手”養秀会”の弟弟子(ギター共に)で兄弟子が一声掛ければ、隣町の小林市からすっ飛んできます。この世界の縦関係の厳しさと、目上の人に対する礼節は、はっきりしすぎる程はっきりしていて清清しささえ感じます。
現在は2人とも現役を引いて後輩や子供たちの指導に専念しています。音楽(ギター)も余技の域を超えて、各種催事や慰問等もこなしていますが、昨夜は我々仲間のために熱唱してくれました。その様子の一部を紹介しておきます。
お二人さん!! カッコイイ~!
来年は鎌倉での結婚式に出演予定とか。うらやましい!鎌倉は何回でも訪れたい所。
乗りまくっている姿にみんな感動!!弟子はその間、当然正座で待機です
実戦空手「養秀会」の宗家 山元勝王氏の著書「空手とロマンの人生」
ちなみに山元氏は都城市庄内町出身です。
模合(もあい) (ウイキぺディアより一部引用)
模合(もあい)とは、沖縄県や鹿児島県奄美諸島において、複数の個人や法人がグループを組織して一定額の金銭を払い込み、定期的に1人ずつ順番に金銭の給付を受け取る金融の一形態である。本土における頼母子講・無尽講に相当する相互扶助システムである。
飲み会の資金拠出のためといった小規模なものから、事業の運転資金調達といった大規模なものまで様々なものがある。模合の起源は琉球王国の尚敬王の時代まで遡ることができる。
>2009年11 月 17 日(火 )
地盤調査
小雨の中、「キティちゃんと暮らす家」の地盤調査に立ち会ってきました。
調査員のKさんも僕と同業でありながらサイドビジネスでこのような仕事もこなしています。長年の付き合いでお互い周知の仲ですので安心して依頼できます。
結果は敷地が川辺りで多少心配していましたが、杞憂に終わり、まずは一安心。状況次第では予算に大きく影響するので、とりあえず、調査だけ急いだ訳です。詳細な報告書は後日送ってくる予定です。
お昼は恒例の同窓昼食会に出席。不動産業を営んでいるいるS君と土地売買の雑談の中で地盤調査の話に触れたところ、最近のトラブル発生の原因に地盤の件が増えつつあるという事でした。今回の法改正により、新たに住宅瑕疵担保履行法が施行にされ、新築の場合、地盤調査が義務づけられた事を考えると、土地売買契約の時点で地盤の件について一筆明記してておくべき事を提案しておきました。
スウェーデンサウンディング式による地質調査。最後の5ヶ所目(建物中央地点)調査中。
>2009年11 月 14 日(土 )
再生
最近、30年前に作った家が蘇えっているのに気づきました。現在は住み手が変わっていますが、元々は高校時代の同級生のために設計したもの。施工した監督も同じ建築科の同級生で愛着もひとしお。近くを通りかかるたびにその痛ましい外観が気になっていましたが、何はともあれ嬉しい限りです。お色直しも30年振りで、おそらく偶然でしょうが、新築当初に近い色でホントよかった。 (〃^¬^〃)
それにしてもとんがってますね~。この頃の作品に攻撃的な形が多いのは、たぶん社会にも自分にも不満タラタラだったんでしょう。社会に対しての批評性を含んでない建物を建築とは呼びませんから。まあそこらへんは今でも大して変わってないつもりです。
イタリアでは年とって丸くなる事を、小さなとんがりが沢山増えて遠目に丸く見える事だと聞いたことがあります。角がとれて丸くなるという日本とは逆ですね。とんがったまま死にたいもんです。・・・写真を見て”今よりうまいじゃん!”なんて思わないで下さいネ。若い時にしかできない事(形)ってあるんですから。
>2009年11 月 7日(土 )
現場主義
設計の時点で散々迷い、考え、決定した筈なんですが、改めて現場に立つと、また、迷い始めます。結局、設計に終わりは来ないんですが、それでも僕にとって最も安心できる場所が現場です。そこでは職人さんが着実に仕事を進めていきます。実際に腕を振るっている彼らとの会話の中で最終的に決定する事が多いのも事実です。また、現場での設計変更は僕にとっては、極々、当たり前の事です。良いと思ったら躊躇無く変更します。ルーティン化された役所の仕事ではとても考えられない事ですが、そういう事には常に貪欲でありたいと思います。今日はお施主さんも交えての打ち合わせでした。やっぱり、モノつくりはプロセスが面白い。そして現場こそが全てです。
>2009年11 月5日(木)
住宅瑕疵担保履行法
住宅瑕疵担保履行法による現場検査(構造・金物)に立ち会ってきました。例の姉歯問題に起因する、性悪説を前提とした今回の法改正は、何とも納得のいくものではない事を実感。建築主を保護するという大義名分が、逆に負担になっていると言わざるをえない・・・などと書いてもただの愚痴でしかないんですが。いずれにしても全てが国交省任せで、業界自体が声を上げない、メディアもちゃんと取り上げないというより分かってない、というか関心そのものがない。この責任は結局はこれまでの付けがわが身に帰ってきていると考える他ないんでしょうか・・・ああ、役人天国ニッポンそして建築文化後進国ニッポン。
2009年11 月2 日(月)上棟式
昨日はスヌーピーと住む家(F邸)の上棟式でした。朝から降り続いていた雨も、午後からは上がり、無事執り行なう事ができて一安心。設計者としては、イメージとリアリティとの落差の違いを確認できる瞬間でもあります。設計者の醍醐味とでも言いましょうか、不安と期待ない交ぜ、一種独特の緊張感と高揚感は何度味わってもいいもんです。それにしても、どこが少子化なの?というぐらい多くの子供達が集まってくれました。○ ○ ○ と祭りは派手な方が良い!
西南より北東を見る
せんぐまき(モチ撒き)・・・ ハイ、 もう終わりですよ~。
ガレージまで一挙に葺き降ろした長い長~い片流れ屋根です。実際に屋根に上ってみて
その長さを改めて実感。住宅の片流れ屋根としては日本で一番長いかも?
2009年10 月27 日(火)
ふるさと緑陰講座
ふるさと緑陰講座の第2回目のスタッフ会議に参加。ポスター、チラシが出来上がってきました。概要もほぼまとまり、後は詳細を残すのみとなりました。ニュース欄をご覧下さい。
2009年10 月25日(日)
南九州アートライン展 (都城市立美術館)
図書館に行ったついでに美術館の南九州アートライン展(ニュース欄参照)に立ち寄ったら、テラスからコーヒーの香りが漂ってくる。思わず顔を向けるとアートストリートの面々。皆、旧知の仲。久しぶりで懐かしい。
鑑賞前にそのまましばらく歓談。Aさんは相変わらずの行動派で次の企画のPR。Nさんは以前私がその住宅を設計したI医院勤務から美術館へ逆戻りとか。
メンバーのみんながアートとしての建築にも関心が深く、市民会館保存問題で一緒に活動した仲間でもあり、また、私の仕事にも興味を示してくれるのがうれしい。何れにしても、趣味が近いと距離も近いことを再認識しました。彼らには理屈抜きで癒されます。
娘がお世話になった美大進学塾「アートゼミ」主宰の多田真理さんに娘の近況報告。塾のほうは、最近美大志望の学生さんが減少し、11月から大丸で絵手紙程度の絵を大人にも教えるという。デッサンからきちんと学びたい向きには従来からのブルーリボン2階にて。こちらは2月からの予定でさっそく希望してきました。
南九州アートライン展は幸運にも原田学芸員のギャラリートーク付き。監視員の中には版画家黒木周夫人の姿も。アートライン展は霧島アートの森からの借入れ作品が多い。以前のS氏コレクション展以来の縁だそうです。今朝は、天気が良かったら、気分転換に霧島アートの森へひとっ走りなどと考えていたので、この偶然も実に不思議な感じ。幸運に感謝。
ギャラリートークショー 作家の著作権の関係で館内写真のHP掲載は禁じられたが、この程度の写真なら問題なかろうと勝手に判断しました。原田さん、ゴメンナサイ。
カフェテラス:コーヒー1杯100円です。2杯目はアートライン展の入場券(大人500円、小人300円)に無料券が付いてます。その他にも霧島アートの森無料入場応募券など様々な特典がついています。この機会をお見逃し無く!
2009年10 月22日(木)
酒と煙草のニュアンス
酒と煙草・・・不思議な、人生のニュアンスだ。人間生活に必要ないといえば、必要ない。むしろ害の方が問題になる悪役だが、しかし人間の離れがたい友である。
苦しいこと、よろこび、淋しさ、生きる日々にはいろいろ波がある。その折々にいつも酒がともにあり、われわれとともに嘆き、憂い、喜んでくれる。酒の伴奏がなくては、人生まことに味気ない。
また煙草は生活の呼吸であり、一服の味わいは言いようのない安らぎである。・・・・・
以上は岡本太郎が酒、煙草、そして食べ物について語っていることのごく一部の引用です。酒が人生の伴奏で、煙草が生活の呼吸だなんて・・・それにニュアンスってのがまたいいですね~。酒と煙草をこよなく愛する者としては泣けてくるほど嬉しい~!!v(。^□^。)v
2009年10 月17日(土)
ゴルフ
5年間絶っていたゴルフの誘いに応じてFカントリーへ。封印を解いた理由はメンバー構成が気にいった事とカート無しだった事、酒びたり運動不足不摂生不養生で落ちた体力の確認が目的。案の定、当然といえば当然ですが、スコア体力共に散々でした。途中、腰は痛めるわ足は攣(つ)るわで、それでもみんなが私の参加を想像以上に喜んでくれたのは救いでした。
5年間もゴルフを絶っていた主な理由は冷え込む一方の経済的世情と、姉歯事件に起因する場当たり的な建築基準法改悪により、建築表現という方法の可能性と魅力が急速に失われ、新たな命題を模索せざるを得ない必要に迫られた事などです。その方法としてゴルフやうまいものを食べるという形而下的な快感から意識的にメタレベルの快感へとシフトする事によって”建築”の意味を問い直し、新たな可能性とモチベーションを獲得できないかと考え現在に至るも未だ道半ばです。
2009年10 月15 日(木)
ふるさと緑陰講座
ふるさと緑陰講座の第2回スタッフ会議に参加。前回の役割分担の進行確認等報告会。今日はルンビ二保育園の保母さんと清涼幼稚園の役員さんも参加。総勢18名。講題が決定しました。詳しくはニュース欄をご覧ください。
散会後、一人静かに飲んでる所へ、来なくてもいいと言ったのに旧知のK氏がF代議士ほか7名を引き連れて押しかけてきました。予想どおり酒が入っての政治談議は空理空論の薀蓄(うんちく)合戦。自分だけが気持いいのは酔っ払いの常であります。何でも経済同友会の帰りとか。仕方がないからしばらく付き合って一足先に退散しましたが酒ぐらい一人で飲め!と言いたい。もっとも後でお店のママさんには感謝されましたが。
2009年10 月8 日(木)
秋
こういう風景を見ると心が安らぎます。自然に勝るものはない!
家つくりも”心してデザインしなければ”。つくづくそう思います。
2009年10 月6 日(火)
緑陰文化講座
月日の経つのは早いもので、今年も緑陰文化講座の季節が来ました。昨夜はその第一回目のスタッフ会議が喫茶ダビンチであり、概要が決まりましたので案内しておきます。なお、 出久根達郎先生は1昨年に続き2回目になります。
講演 出久根達郎 先生 演題 未定
大河内昭爾先生
日時 : 11月20日(金) 講演 6時~8 時30分
20回記念パーティー(さようなら謝恩会) : 中山荘9時 ~10時30分
場所 : ホテル 中 山 荘
20年の長きに渡って続いてきた講座でしたが、大河内昭爾先生の体調の関係で、今回をもって終了致します。友人、知人等お誘いあわせの上、是非ご参加ください。
2009年10 月1 日(木)
たまにはこんなのも。我事務所は2階にあり、丁度目の高さで満開です。
2009年9 月28 日(月)
今日の大安吉日を待っての「スヌーピーと住む家」の工事契約を済ませた後、お施主さんに事前に用意して頂いた粗品を持って、施主、施工者と一緒にご近所の挨拶廻りをしてきました。工事中の騒音等の迷惑や、完成後の近所付合いをヨロシクという意味も含めての挨拶なんですが、2軒の方に粗品の受け取りを頑強に拒否され、三者三様それぞれ複雑な思いで帰ってきました。
ほんの気持ちなんですがねえ~。なんと言ったらいいか、まあ、しょうがないんですかねえ~・・・・。おかげで僕と施工者がもらうはめになってしまいました。
2009年9 月23 日(水)
現代の名工 永江明夫 遺作展
昨年末に94歳の天寿を全うされた現代の名工 永江明夫さん の遺作展が9月25日より10月4日まで都城市鷹尾町のNAギャラリーで開催されます。今日はその展示のお手伝いに行ってきました。思い返せば、かねてより念願の ”都城にも文化施設を” と相談を受けたのが14年前、当時、民間の、しかも全く自力でのこのような施設は全国でも稀有な事でした。
永江さんは旧福井高等学校(現国立福井大学前身)建築科卒業、清水建設就職、シベリアから復員後、東郷織物工場を運営、次々と新しい仕事に着手、研究開発を経て色大島を完成。「銀座で木綿の着物を」をモットーに今日の現代「薩摩絣」の礎を築かれました。
氏の独特の色彩感覚と感性は絵画や書、陶芸の分野にも見て取れます。死後その書や絵画が多数発見され、今回遺作展の運びとなりました。その一部をここに紹介します。
>2009年9 月21日(月)
メメント・モリ(Memento mori)
彼岸が近いからでしょう、TVで映画 「おくりびと」 をやっていました。片や偶然 NHKで白州次郎をやっていたので 「おくりびと」 をあきらめNHKに切り替えました。偶然と言うぐらいだからそれ程TVを見る方ではありません。見るのはニュースと新日曜美術館ぐらいでしょうか。
ま、それはいいとして白州次郎を最後まで見ました。白州次郎は以前から好きで、関連する本の何冊かは読んでいたせいでしょう、本を映像化するとこうなるのかといった感じで終りました。
その後、新しい住宅のスケッチに入る前に、美術手帳 「創造する脳 どうしてヒトは絵を描くのか」 を拾い読み。中沢新一(多摩美大教授・芸術人類学研究所所長)の寄稿が中々おもしろかったのでネットでもうちょっと詳しく思い、開いたら 「おくりびと」 と メメント・モリ(Memento mori) に行き着きました。
タモリと本木雅弘(おくりびと主演・俳優)と中沢新一の対談及び講演録です。
メメント・モリ(Memento mori) という本も半年ほど前に偶然図書館で手にしました。「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」 ヒンズー教徒の聖地 インドのベナレスで犬に食われてる死体の写真についている言葉です。残念ながらベナレスから帰ってきてからこの本を知りました。
本木雅弘は27歳の時この本に衝撃を受け、ベナレスを目指し、映画化までに15年を要しています。風が吹けば桶屋式になってしまいましたが主題はヒトの「生と死」です。住宅にかかわりが深く、且つ重いテーマを前にスケッチが止まってしまいました。
( 以下Wikipediaより一部抜粋 )
メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳されることが普通。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。
「メメント・モリ」の思想がもっとも顕著に現れたのは、葬儀のための芸術及び建築物である。おそらく、現代人にとって最も衝撃的なのは、腐敗した死体を表現した墓であろう。

メメント・モリ 死を想え 藤原新也
2008/11/5 三五館 172ページ 1890円(税込)
( 藤原新也著作リストより)
生と死を謳う現代の聖典。
一瞬で情報の入れ替わるこの空しい時代を、25年間の長きにわたって読みつがれてきたロングセラー。 いま、絶望の時代を生き抜くべく、新たな言葉と写真の牙を研ぎ澄まし、新登場。
日替わりで情報が消えていくこの時代に25年の長きにわたって読み継がれている本書は稀有の書だと想う。その25年にいろいろなことがおこった。
最愛の肉親の死を受け止められない人が本書を読み、気持ちの落ち着き所を見つけられたという例は多い。重荷を背負った自分から解放されたという人もたくさんおられた。悩みあればことあるごとに本書を開くという人。あるいは本書を片手に・・・・
>2009年9 月20 日(日)
テスト
この本もH・Pで日頃お世話になっているMさんから頂いたものです。このブログのコーナーの書き込みの(パソコンの)調子が悪くて今、新たなページでテスト中です。只今のところ、写真、書き込み共いくらか良くなりました。今までは手間と時間ばかり喰ってイライラして書く気が失せてしまいそうでした。Mさんはパソコン本体に問題ありと言ってますが、頼むから”うまくいってくれ”と祈るばかりです。
>2009年9 月19 日(土)
空手
山元勝王 空手とロマンの人生 みき書房
実践空手 養秀会会長 山元勝王(本名 守:都城市庄内町出身)氏の一代記です。
先日、7年前に作った併用住宅M邸の施主であるMさんが、頼みもしないのに持って来てくれました。その彼も建築中は現役でしたが現在では都城支部で指導者的立場にあります。養秀会は国内はもとより海外各地に多数の支部があります。知らない人も多いかと思いますので紹介しておきます。
ちなみに私にとって庄内も空手も縁が深くゲンがいいのです。庄内町は緑陰文化講座のお手伝い等で、(巨樹や石垣が多く残っており、地形も良くて大変好きな町です。)また、空手はわずか2年程でしたが、高校時代に学び、5年間学んだ剣道と共にその後の現場でかなり役にたちました。高度成長期時代の建築現場は職人同士の喧嘩が絶えず、その仲裁も現場監督の仕事でした。今とは隔世の感があります。今の現場は空手にたとえれば、さしずめ、寸止めの空手といったところでしょうか。
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